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2005年11月

負け犬号泣でセロトニン大放出

- 今日の遠吠え -

親しい仲にも礼儀あり。

「ホントよ。特に男女とか夫とか距離が近くて親しいほど、どうしても甘えが出ちゃっうからね。」

私の尊敬する、さすが、もうすぐスイート・テン・ダイアモンズだけど夫婦円満な友達の口癖。

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もうひつ月前になるが(早い!)自分でもびっくりな号泣をした。
しかも人前で。(^^ゞ

とにかくこのひと月くらい、いろいろ急に環境が変わったり、数ヶ月間もやもやとかかえていたことが、ついにイッパイイッパイになったりして、自分が自覚していた以上に、どうやら気持ちが張り詰めていたらしい。

(で、ちょっと精神的に落ち着いたので久々に更新しています。と、復活宣言しながらひと月以上も更新しなかったいい訳したくてこの題材を選んでいます。あは。)

私は結構泣き虫なほうですぐメソメソするが、そのときは何だかいつもと違った。

ちょっと酔っ払っていたのもあったし、とても信頼しているひとの前だったので甘えが出てしまったのかもしれない。
別段それほど泣きたいということもなく、ずっと気にかかっているやるせない話をしようとした。
その話題自体とても悲しいことではあったけれど、そのこと自体が取り乱すほど切羽詰った問題だったというよりは、それを引き金にして、いろんなものでパンパンになった風船がついにパツンとはじけてしまったという感覚だった。

自分でも意に反してこみ上げて来る嗚咽に驚きながらも、止まらなくなってしばらく空いた炉辺焼き屋のカウンターで、ヒックヒックオエオエ泣いてしまった。酔っ払っててどのくらいの時間泣いていたのか実はあんまり覚えていないのだけれど、朦朧とした頭で途中からちょっとだけ、すぅっとしてきたというか気持ちよくて「エイッ、何だかよくわからないけど全部泣いちゃえっ」って気分になった気がする。そして、泣いたらすっきり、その後ケラケラものすごく機嫌良くなってしまった・・・ように・・・記憶している・・・。ってこの辺からすっかり酔いがまわっておりまして、あは、おぼろげ。
(^^ゞ (^^ゞ (^^ゞ

そんなおり、本屋の店頭で「週末号泣のススメ 涙でストレス解消!脳をリセット!」(安原 宏美 著)という本を見つけた。
まだ読んでませんが、最近何にいつ号泣したかとか調査統計データとかも載っててなかなか面白そう。

泣くっていうのは笑うのと同じくらい、精神衛生上いいみたいです。科学的にみても涙が流れるときいっしょにストレスの元になる成分が体の外に排出されることがわかっているとか。
不足するとウツの元になることで知られている脳内物質「セロトニン」の分泌もよくなって頭もすっきりするとか。
なるほど!ケラケラと私が急に機嫌良くなったのはこのせいか!(いや、単なる酔っ払いだったせい?あは。)

科学的実証あり、さあ、みんなで泣こうぜ!!

って、自分の失態を正当化してみたが、まったく迷惑な話だ。本当にごめんなさい、お店のおかみさん、そして黙ってその恥ずかしい状況につきあってくれた相棒。

深く詮索するでもなく二言三言優しいことばをかけただけで、相棒がじっと黙って、安っぽい同情や慰めを言うでもなく、説教じみた諭しをエラそうにするでもなく、私が泣き止むまでつきあってくれたことがとても嬉しくてありがたかった。
って、呆れて困ってただけか。(笑)

「親しき仲にも礼儀あり」

場違いのようだが、マナーとかお行儀とかルールのことじゃなくて、冒頭の彼女が言っていたのはこういう意味かもと思った。

相手との距離が近くなって、共感したり意気投合したりする体験を重ねていくと、相手のことがわかったような気になる。きっと自分の考えは当然相手も理解するだろうと、こうなんじゃない、あーなんじゃないといろいろ言って「あげなくちゃ」という態度になったりする。それは優しさのようで、ときに驕りを含んでいる。私が救ってあげなくちゃっ!

おこがましい。反省、反省。

どんなに親しくても、わかりあってるつもりでも、ひとにはそれぞれ「正論」ではどうにもならない自分だけの部分とか、ペースとかいうようなものがあると思う。

きっと私にはわからない悲しいことがあるのだろう。わからないけどきっととても今この人は苦しいのだろう、ひとりでは苦しいから私の前で涙を見せたり、泣き言をもらしたりしている、だから今はすこしの間そばにそっと居ましょう。

ときに、こんな風にありたいと思うのだけれど、これって、相手のことを心の底から当たり前に尊重していないと難しいなとつくづく思う。あたしと同じだろうという「馴れ合い」でもなく、あたしと違うから「排除」でもなくて、私と違う大事な存在と「尊重」する。お互いを尊重するおとなとして対等の距離を保った関係。難しい。

自分は何でもがんばったら理解できると思ったり、自のやり方を教えてあげたら相手が救われるなんて、正論のようで思い上がりだ。ひとはそんな単純じゃない。

「礼儀」を広辞苑で引いたら、「礼」と「義」とあった。敬う気持ちと道理。
相手を自分と違う人間だと敬うことを欠いて、道理ばかりを論っても「礼儀」にはならない。

相変わらず(笑)まわりくどくややこしく展開してみましたが要は、

「そっとしておいてあげる思いやり」

について考えてみました。
冒頭の友達も相棒もあらためて尊敬。

でも、思いっきり相手の迷惑考えず、心のどこかで今は許してお願いと、甘えて感情爆発させた私が何より「礼儀」知らずだね。
ごめんなさい。(汗)

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