カテゴリー「おひとりさま、思いをはせる」の記事

かもしれない。その2

思いがけない、アラフォー女子の再会。
二人目は高校時代の同級生。
一時期、電車通学の帰りの方面が同じだったこともあり、いつもいっしょで時には寄り道で家に招くほど仲良しだった。

でも若者の移り気っていうのは残酷なもので、クラス替えがあったり、それぞれ目の前の新しいことに夢中になっているうちに、理由もなくなんとなく顔をあわす機会が無くなってそのまま卒業してしまった。
それでもわたしの中では、気取らなく元気いっぱいだけど、思慮深くさりげなく周囲に気を配ったりする彼女が大好きで、印象深く、時おりあの子はどんな大人になったんだろうと疎遠になってしまったことを後悔していた昔の友人のひとりだった。

だから、今の住まいのすぐ近くのいつものスーパーの角で、「もしかして、あべちゃん?」と彼女から声をかけられ振り向いたら、瞬時にものすごく懐かしくて会いたかったぁ~という感激がこみあげてきた。
でも、その感情だけがカッと胸を高鳴らせるが、名前が出てこない、誰だかわからない!えっ、えっ、このひとすごい会いたかったひとなのに、この懐かしい雰囲気、えっとえっと・・・

「あたし、ケーコだよ。覚えてる?」と彼女。
「きゃー、えっ、えっ、ケーコちゃん?!うれしー!!こんなところでまさか会うと思わなかったから、あたしはぜんぜん気付かなかったよ!!声かけてくれてありがとう」

それもそのはず、もともと互いにどちらかというと化粧っけもなくガハハと色気のない元気いっぱい女子高生、というタイプだったが、スラリと背が高くもともと目鼻立ちもくっきりとしていた彼女は、聞けば今はなんとスチュワーデス。
これから近所の友人宅に訪ねるところで、普段着とはいえ小綺麗にしいてとっても美しかった。あのころの姿からうって変わって見目麗しい大人の女性に成長していた。

一方、あたしといえば、近所の整体に腰痛直しに行った帰り道で、どうせ夕方の暗がり、自転車で突っ走れば誰も見ちゃいないとばかりに、整体院でいちいち着替えるのもめんどくさいので、ゆるゆるの寝間着同然のジャージー姿で、ぼさぼさ頭にヤワラちゃんちょんまげという出で立ち、眉のうすいスッピン顔には多分60分間うつぶせになっていた輪っかの枕の跡がクッキりついていたと思う。

「うん、あたしもまさかこんなところでとは思ったけど、阿部ちゃん、ぜんぜん変わってないからさ、ぜったいそうだと思って。」

嗚呼、こんな変なかっこうで「変わってない」とはこれいかに・・・

すごいじゃないっ!スッピンで40にして、17歳の頃と変わってないって!!
きゃースッピンが役に立った!

って、思おう・・・(苦)


そんな一抹の居心地の悪さは、まあもうそれどころじゃないっ!

「えぇぇ?もしかしてご近所?」
「いつ頃から?」
「何丁目あたり?」
「きゃぁ~じゃあ、もしかしたら既にどっかですれ違ってかもじゃん!」

当時互いに住んでいたところとは全く別の場所での、なぜか互いに自転車にまたがったご近所モードでの再会に興奮。

どうして、まったくこんなところで会うのだろう。

どうして、って大抵決まってるじゃない・・・
このあたりは、高齢化も進んでいる一方で、まだまだ若年ファミリー向けの手頃なマンションが乱立する地域。
きっと・・・

お互い、聞きたくて聞きづらいあの質問。

一拍置いて、あちらから口をひらいてくれた。

「それで・・・結婚されて今はこの辺に?」

「って、言いたいところなんだけどさー、ひとりで住んでるのよー。ボロいけどそこのマンション買ってね、着々とひとりで行きてく道まっしぐらって感じ。」
とわたし。
何だか言い訳をするみたいに、聞かれてないことまで答えてる自分がちょっと情けない。

「ケーコちゃんは?結婚されて?」

「えっとね、わたしはね、えっと結婚は一度もしてなくて、実家がこっちに移って親と住んでるの。」

うーん!わたしはこのケーコちゃんの「一度もしてなくて」という言い回しにちょっと感動した。
そうして、当時と変わってないまわりを気遣う優しさや聡明さがうれしかった。
そうそう、わたしはケーコちゃんのこういうところが好きだったのだ。

そういや、以前の住まいの隣人に世帯人数をただ聞きたくて「おひとりですか?」ときいたら初対面にもかかわらず、何を勘違いしたか先走っていきなり離婚歴の話をされて面食らったことがあった。
ケーコちゃんは仕事の都合か何かで確か欠席だったけど、10年前、30歳の記念に開かれた同窓会では、まだ独身が多いなか既に2回も結婚して、2回目も離婚しそうな子もいたっけ。

私だって、年代やその日たまたま着てたかっこうで、奥さんだと決めてかかられて応対に困ったり、ときにはやっぱあたしって人並みじゃないのかしら、なんてちょっと傷ついたことが何度もある。

もう40年も人生やってるおとな。すごいおとな。
ケーコちゃんだって、いろんな人に接していろんな思いや考えることがあって、きっと選んだ表現なんだろうな、と勝手に想像をしたら、互いに違う道でいろんなことを経てきた長い年月に思いがはせられ、でもそれをアウトプットするトーンは期待を裏切らない、やっぱりあの子だ!という変わらない一面が見え隠れしたりするのがとっても素敵だなと思った。

そうして、ふたりは日をあらため、この住宅街の雰囲気には似つかわしくなく、近所のちょっとアウトローな雰囲気のバーに「実は前から気になってたんだよねー」「あたしもー!今日は行っちゃう?」と調子に乗って自転車で乗り付け、いつもなら開けられない扉を開け、若者たちに「おねえさんたち」的扱われ方の中、深夜まで女子高生にもどったときのようにきゃっきゃっとおしゃべりに花をさかせたのでした。

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かもしれない。

ちょっと前だけど、仲良しだったのに10年単位でご無沙汰をしているうちにきっかけを失い、このままだともしかするともう会うこともないかもしれない、と思っていた同級生とのうれしい再会が続いた。

一人目は、女子大生時代の友人。
彼女が地方の実家に帰ってしまったこともあり、いつしか年賀状のやり取りのみになってしまっていたので、思いがけず彼女が東京に行くので会わない?と連絡をくれたときはうれしかった。

変わってしまってわからなかったらどうしよう、と思えるくらい久しぶりだったので再会の感激とともに、どうしていたのか聞きたいことは山ほどあるが、学生の頃みたいに今でも親しく込み入ったことをズケズケ話してもいいのだろうか、という緊張感が少しだけ互いにただよう。

仕事はどうしてるの?ご家族はお元気?○○ちゃんとは連絡とってる?うれしくて興奮気味にあれこれ近況を報告しあいつつ、
でも、互いに多分いちばん気になってるけど、なんとなく言い出しにくいあの質問。

毎年の年賀状で、苗字が変わってないことは知っている。
でも、お互いもうおとな。すごいおとな。
アラフォーともなれば、型どおりの身の上を選んでいるとは限らない。

たくさんしゃべって、若いころの距離にちょっともどった感じがして、安心したところでどちらともなく、さりげなさを装って・・・。


「でさ、決まったひととかは、いるの?・・・」

「・・・それがさー、まったく。」

「あたしもぉぉぉ!」


この一言でなんだかお互い一気に緊張がとけ距離が縮まった。ちょっと悲しいアラフォーの共感(^^;

そうして、話題は第1幕「近況や思い出話」から、第2幕「アラフォーの結婚、恋愛事情」へ移り、さらに盛り上がりをみせる。

一抹のさみしさや味気なさを感じながらも、すっかりひとり気ままが楽しくもあり、誇りでもあること。
ゆえに、あきらかにチャンスが減っているというのに今さら相当しっくりくる相手じゃなければ、いっしょになる気になれそうもない困った思い。
そんな微妙な気持ちを知ってか知らずか周囲からの、特に一部既婚者女子からの、何が何でもその年なんだから結婚するのが当たり前的な、決めつけるような、あるいは憐れむような、優越感みえみえの上から目線の鼻白む言葉や扱いの数々。
とはいえ衰えていく若さや、年老いていく親の姿を感じるたびにこころをよぎる、我が道をつらぬく自信が萎えそうになる不安。


そんなことを、オーダーしたお茶が空になって、店員が嫌味まじりにお水を換えに来るのも気にせず競うようにしゃべりあった。

ふと、語っていて気付いたことがある。

ついこの間までは、この手の話は「もしかすると結婚しないかもしれない・・・」というモードだったと思う。

気が付いたら、いつの間にか自分の中で「万が一結婚することがあるかもしれないし・・・」という前提で話していた。

嗚呼!


そうして、しゃべりつくしたバブル世代ふたりは、盛り上がり勢いで銀座のど真ん中でまっ昼間にカラオケへ行き、あの頃サークルのスキー合宿で白とピンクの知世風ワンピースで決めていた彼女は聖子ちゃんを、真っ赤なルージュにソバージュ頭で背中が焼き豚みたいになったボディコンワンピーを着て六本木へ遊びに行っていた私は明菜を、その日は若人に遠慮することもなく、2時間熱唱して、次の再会を誓って別れたのでありました。

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優先度

もう先週の出来事ですが、ますます感染の広がりが心配されている新型インフルエンザのワクチン接種対象者の優先順の案が厚労省から発表されました。

1. 医療従事者
2.妊婦、持病のある人
3.乳幼児とその両親
4.中学生以下の子供と高齢者

以上。

そうか、

やっぱり、こどもを持たな中年は、世の中ではどうでもいいんだね、価値が無いんだね。

え?うちだって幼児はいないから同じよ!ってあなた、
もしものときは頼もしいだんな様や、もう思ったよりしっかり者になった子供たちがきっと、助けてくれるわよ!

あたしなんて、急激に夜中に発熱して動けなくなって、自分で救急車も呼べず、苦しみながら誰にも気付かれずひっそりと孤独死するんだ、きっと。

と、卑屈な気分で膝を抱えながらニュースを見た。


あっ、もちろん概ねこの優先度には賛成ですよ(^^;

個人的な一瞬よぎった悲しい気分ですから・・・
何より、感染防止に気をつけます、はい。

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エコ・マック

名指しですみません。
マクドナルド、以前から何かにつけて過重包装が指摘されがちでしたが、最近やっと「簡易包装にご協力を」といって、ビニールの手提げ袋を基本止めた模様。

でも、このただ袋を1枚止めただけ、という安易なやりかたに以前からちょっと物申したいところはありました。

外袋はやめたけど、ドリンクとポテト&バーガーは相変わらず2つの袋に分けて入れるマニュアルのままの模様。
まあ、液体がこぼれるとか冷たいものと温かいものをいっしょにしないとかいう配慮なのは察しがつくが、これがとても大迷惑。
2つの袋をつまんで片手にもつと、必然袋が斜めになってしまうので、無駄に空間があるドリンクのほうの袋は安定が悪く、必ずと言っていいほどドリンクがこぼれてしまうのです。

それで、仕方なくいつも意識的に両手にわけて持つようにしているのですが、先日は用事を済ませた足でランチを買いに立ち寄り、片手には少々荷物がありました。

それで、「すみませんが、荷物があるので袋にまとめてもらえませんか?」とお願いしたら、

「少々大きなふくろになりますが、よろしいでしょうか?」
とすばらしい0円スマイルで、

Ecomac200901213_2

バリューセット1人分の小さな紙袋2つをとっても立派なデスクいっぱいの大きな手提げ袋に入れてくれました。

「This is ECO Style 簡易包装はじめました」

の袋のキャッチが泣けます。

わかっているならエコバックをもってこいと言われそうですが、ファーストフードって便利にいつでも立ち寄れるコンビニエンスが売りのひとつでしょ、役割でしょ、と思います。
その範囲でもう少し工夫したらと。
たとえばね、バリューセット、あれっぽっちのメニューを2つの袋にわけるの止めようよ。いっしょにしていいかお客様の希望を聞くぐらいの手間、販売員に指導できるでしょ。

中になぜ?というくらい大量の紙ナプキンが入ってることがあるのも相変わらずだし。


私自身は実のところちっともエコなひとじゃないので、ちゃんとエコに取り組もうとしている姿勢にとやかく言うのはおこがましいかもしれませんが、エコ、エコと言葉に踊らされて、爪で集めて身でこぼすようなポーズばかりのエコが大嫌いです。

あんた、積水ハウスのCMの毛利さんのセリフをよく聞きなさい!と思います。
出来ることをガマンしたり不便を強いたりするのではなく資源を有効活用するのをエコというのじゃ。

工夫無き、頭の悪いエコ反対!

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NHKスペシャル 「女と男」

今日から3回シリーズで放送されている、NHKスペシャルシリーズ女と男がおもしろかった。

男女の違いを科学的に読み解くという題材。
第1回目の今日は往々にしてすれ違いがちな男女の感情ってのは、実は科学的に解析するとちゃんと理由があるっていうようなテーマ。

かいつまみ且つ私の勝手な解釈をあわせると、男はそもそも狩猟とか争いとかいつも襲撃される危険にさらされている役割を担って来た遠い祖先の習性で、やられる前にやっちまう!というベースで脳ミソができている。
ゆえに女が「なんで?」というような些細な一言や出来事でカッと心拍数が上がり攻撃モードになりやすいらしい。
まあ現代社会では簡単に衝突しているわけにもいかないわけで、カッとなりそうになると話を打ち切ったり、相手を見下したりすることで、衝突を回避してる場合が多いとな。

一方女は、姑はもちろん群れの中でうまくコミュニケーションをとって協力していかないと、単独でのホモサピエンスの特徴である長い期間の子育てに対応していくのは難しいわけで、表情などから相手の感情を読むことに長けている。
また、子育て期間中の自分と子どもにしっかり食べ物をとってきて、危険から守ってくれるような誠実なオスかどうかを見極めなければならず、相手の行動についての記憶力が発達している。
そんな女の感覚からすると、なんで私の気持ちがわからない?なんで大事な記念日を忘れちゃうの?となるわけで。

3年目の浮気ってのも、生物学的な生殖のサイクルから考えると妥当な年数らしく、実際統計的にも3~4年での離婚率が高いそうです。

番組の最後は、すれ違いがちなとあるアメリカ人中年夫婦が、コミュニケーション講座みたいなのに参加して、上から目線で妻の話をうまく聞けないダメ夫が、トレーナーに諭されているシーンが流れ、現代社会では結婚が生殖だけの目的ではなくなっており、寿命も延びて子育てが終了しても男女は長い時間をともに過ごす必要があるのだから、男女の違いを理解した一歩進んだコミュニケーション能力が必要となるのではないか、と結んでいた。

どうも、女性寄り目線の構成だなと思った。タイトルも「男と女」ではなく「女と男」だし。なんともNHKらしいような、らしくないような・・・。

しかし、女のほうがやっぱりどっか腹が座っていて、男のほうは攻撃は最大の防御なりってな感じで、それ故に相手の気持ちを察する余裕もなく、理解できない行動の数々も臆病の裏返しなのねーとか思ったら、遠い昔のあんな苦い思い出も、こんなとほほな出来事も、まあ彼らは原始的だっただけなんだなーと少々理解もできようと。(笑)

そして、原始的なゆえに、雄々しくて実に魅力的だったのよ!

と思うことにした。(笑)

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あの人の印象

「そういえばさこの間、退職以来どうしてるんだろうと思ってたAさんのブログを偶然みつけてさ、大変そうだけど元気でがんばってるみたいだったよ。」

ひさしぶりの旧い付き合いの同僚たちとのランチにて、職場を去って行った懐かしい人たちの近況について話題になった。

「えっ?Aさんって誰だっけ?」

「ほらほら、細くてちょっと2枚目で、物静かで感じがよくてさ、○○プロジェクトでがんばってた人よ。」
「あ~・・・あの人かな?何となくおぼえてるー」

と、ここまではよかった。

「Aさんに最後に会ったのって、2年くらい前の、あの人の、えっと何さんだっけ・・・えっとあの人の結婚パーティー以来だよ。あんたもいたよ?、そのパーティー、確か。」

「え?誰の結婚式だったけ?」

「ほら、あの人よ、癇癪おこしてイス投げて大騒ぎになった・・・」

「あ~、あいつねー!」

「そういえば、イスなげたあいつにもこの間会ったよ、ほら何さんだっけ、あんたが嫌いだった落ち着きがなくてさ、いっつも貧乏ゆすりしてて、声大きくてやたらうるさかった・・・あの人の送別会で。」

「あ~、あいつねー!」

「貧乏ゆすりっていえば、辞めちゃったB夫もどうしてるんだろうね。あいつの貧乏ゆすりもすごかったよねー。あのひと変わり者だったからどうしてるのかなー、ちゃんと新しい職場に馴染めてるのかな。」

「え?B夫?誰だっけ知らない。」

「え、B夫だよ!ぜったい知ってるよ!トイレの後手を洗わないって有名だったじゃん!!」

「あ~、あの企画室のB夫さんかぁ~。あの人はインパクトあったよねー」

「手を洗わないって言えばさ、1週間同じ服で有名だったあの人・・・・・」


と、気がついたら、こんな調子の数珠つなぎの思い出話になってしまった。

私も含めその席の面子の誰もが、まったくもって悪口で盛り上がろうとか楽しもうとか、そんな気はさらさらないのです。

が、時を経て名前の記憶もあやふやになりつつある懐かしい仲間たちのことを、当時を過ごした同士として、なるべくわかりやすい共通イメージで思い出を共有したい!その一心に、こころに浮かんだエピソードを口にし合ったら、なぜかこうなってしまうとは。(笑)

昔から「ひとって言うのは、百の善は忘れても、一の悪はずっと覚えているものだからね。」と信用の大切さを語られますが(うちだけ?)、ほんとに印象っていうのは、時が経てば経つほどこわいですね。

やばいな、私が思い出の人になるとしたら、どんな汚点がみんなの脳裏に浮かぶんだろう・・・

※ちなみに会話の中のエピソードはプライバシーに配慮し差し替えてますのであしからず。 ^_^;

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「30女という病」を垣間見る

さて、美容院で不本意ながらあてがわれた「VERY」。
気を取り直して、そうよ、普段だったら自分から絶対に手に取らない雑誌、
この機会を情報収集に生かしてこそ、デキル女よ!とか何かの自己啓発本のフレーズが頭をよぎり、素直に開く。

しかし、タイトルがすごい。


狙っているのは「二度目の結婚指輪」

再婚のすすめかと思ってタマげたら、そうじゃなくてダンナにおねだりする次の指輪についてらしい。
あたしなんて、一度目すらもらったことないですけど、何か?
いや、そこじゃなくてですね、気になったのは、
なぜ単なるダンナからのプレゼントじゃなくて「結婚指輪」とあえて表現するのか意味不明。

独身の友だちと久しぶりに会う日は・・・

シーン別のコーディネートみたいな、特集なんですが。
どうも「独身の」っていうところが、ひっかかるのはひがみ根性がゆえでしょうか。
いつもは着ないちょっと大胆な・・・みたいなコメントがついていて、なんだかやたら意識過剰ぎみにピラピラした女子っぽいコーディネートになっています。独身女子をバカにしてんか?あ、すみません、やっぱり単なるひがみですね。
っていうか、そもそも友だちに会うんでしょ、別に相手に媚びて作りこまなくたって、そんなときこそ一番自分が着たい「自分らしい」服を着てけばいいのにって思います。まあ、浮きたくないって心境もわからなくもないですが。

↓そして、このスタンスと相反してすっごい矛盾しているメイン特集に30代主婦の心の激しい揺れっぷりを見ずにはいられません。

「主婦らしい」私が今の誇り!

意味不明。
え?主婦は主婦でしょ、OLはOLでしょ。パラサイトはパラサイトでしょ(古っ)。
なぜか声高に大きな文字で「誇り!!!」との主張に違和感を感じ。

ほほぉ、なるほど「主婦くさい」ではなくて「主婦らしい」気品やあたたかさを醸し出してるあたしを見て!
みたいなことらしい。
でもこれ、ファッション雑誌でしょ?
エレガントに見えるようにとか、クールな私をアピールとか、アクティブに見える着こなしとか、自分の内面の一端を演出する装いとかスタイルってのは真っ当だと思うのですが、「どこそこの生徒です」とか「警察官です」とか示すための制服じゃあるまいし、なぜ「あたし主婦です!」っていう身上を私服だってのに誇示しなければならないのか、やっぱり意味不明。


どれもこれも、まったくもって意味不明!
理解不能!
ワタシ、ゼンゼン、ワカリマセンネェ~


・・・うそです。


本当は何でかこころあたりがあります、あたし主婦じゃないけど。
知っているけど、あえて目をそらしてみました。

それは、独身のわたしにも身に覚えのある共通の「病」のせいだから、多分。


その病については、石原壮一郎さん の、この本に書いてあります。

あたし、「アエラを読んでしまう・・・」どころか、「アエラに取材されてしまう悲劇」だし(笑)

「大人養成講座」で有名な著者ですが、本当は石原さんオヤジの皮を被ったオバさん(オバジ)ではないかと思うほど、30女自身である私たちも気づいていなかったというか、ひた隠しにしてきた(つもり)の、心の底にこびりついてるモヤモヤを手に取るようにわかってらっしゃる。そのモヤモヤの素を的確に深く見抜いている視点にドキリとさせられ、そしてまた理解されることの快感をもおぼえます。

「病気に例えるなんて!」「バカにしてるわっ!」と一瞬怒りたくなりますが、そんな反応を思わずしそうになる自分を冷静に振り返ると、やだぁ~皮肉ねぇ~アハハ、と笑えず過敏に反応しちゃうところがそもそもやっぱりビョー的かしらと思います(笑)
著書の中で、繰り返し「お世辞ではなく、30代の女性はもっとも魅力的」と表現してただいてますが、多分これは辛辣な指摘についての言い訳でもおためごかしでもなく(たぶん、きっと、じゃないかな・・・)、本当に愛ある視点だからこその、不快・・・いや間違えた、深い洞察による描写と思うので、病気呼ばわりもあえて許せます。
許せちゃうこころの広い私、やっぱ大人よねぇ~。
こころの広い「おとな」な私が今の誇り!!(病)

あなたも、この本読んだらきっと30女がおかしくも愛おしくなること間違い無しです。

読んで愛して!お願い。(笑)


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タイトル変えたら、

うっかり夢中になりすぎて、もう寝ます。

美容院のね、雑誌の話の続きを書こうと思ったんだけども。
もう、深夜。あした朝早いのよ。

久しぶりで管理画面ひらいたら、サブタイトルも背景も季節外れで、ちょっといじろうかしらなどと思い、
そういや、前から気になっていた、SEOも考えつつ、面白がってつけたタイトル、
今さらだけど、飽きてみたら自分でもあらためてイタすぎた、あは。

おひとり様じゃなくなったんだっ!って誤解されたいような、されても困るような、
まったく、身の上は変わっちゃいないんですけどね。

まあ、ありがちだけど意外にほかにないタイトルにしてみました。

おやすみなさい。また明日。

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ロールシャッハテスト

家庭菜園で、育ちがよくなかったので、あきらめてあまり手をかけずにほおっておいた人参を掘り出してみたら、大変なことに。

20080128ninjin

自然のままにまかせた結果、あるがままの姿。

にんじんや大根を売ってるみたいにまっすぐ1本にきれいに育てるのは、よーく耕して、途中で盛り土なんかして手がかかるわけですが、そもそも、まっすぐ1本であって都合がいいのは人間の方なのではないか。


人間社会では、「そういうもの」だという風に社会に刷り込まれて成人して、「ふつう」の結婚をしてみて、その生活の違和感からはじめて自分の本来の自然な性的指向に気づき、悩む人が多いという話を聞いたことがあります。
だから、カミングアウトして後ろ指さされがちになっているようでいて、実は自ら気づいて自らカミングアウトできる勇気と環境があるひとは、むしろラッキーなほうで、そうした人の水面下で正直に自由に生きることが難しい状況となってしまってからどうにもならずに苦しんでいるひとのほうがたくさんいるという。
過保護に型にはめて育てられて、外見「ひとなみ」で美しく見えても、実はそれが幸せかどうか・・・

えっ?何の話?

しっかし、左のかれはご立派なかんじで恐れ入りました。

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インタビューされたら妄想

昨夜、23時のニュース番組で、朝青龍についてどう思うかの街頭インタビューが流れていた。
ギロン、ハンロン・・・ってやつ。

あれを観る度に、もしも私が新橋の機関車の前でインタビューされたらどう答えようかという妄想にふけってしまう。
どうしよう、時事ネタ弱いからその日のためにやっぱり新聞購読は再開すべきかもしれないと思うときがある。あほですわ。

朝青龍の件についてだったら、すごいいいこと言えたのに。放映された自信あったな!(あほ)

大好きな内舘牧子さんのご意見には、大共感。
わたしも朝青龍が好きだった。

お相撲はそれほど詳しくないので、技量の凄さのほどはよくわからないけど、あの圧倒的な強さといい、ヒールな存在感といい。
でも、ダァーとかグォーとか言っててアンタ脳みそまで筋肉かと思わせる従来の悪玉衆のイメージとは違い、しゃべれば流暢な日本語で賢そうな雰囲気とのバランスが何とも魅力的だった。
ヨコヅナ オブ ヨコヅナ、ユーアーザチャンピオン!って感じだったのに。

憎たらしさの中にも悪玉の品格があると勝手に買被っていたイメージは、今回の騒動いろいろでガラガラと音をたてて崩れ。
「嗚呼~、やっぱりつまるところ外国人力士に、『日本のこころ』の世界を理解するのは難しいのかしら。」とさえ。

「強ければ何でもいい。」だったら他の格闘技やればと思う。
かといって「心・技・体」の「心」の部分を実直に追求するならば、ほかの武道がある、「剣道」とか「柔道」とか。

他の格闘技とは違うお相撲の魅力は、単なる「スポーツ」っていうのではなく「武道」っていうほど堅苦しいだけじゃなく、「懸賞」とか「星とり」とか「番付」とかちょっぴり博打っぽい要素があり、加えて髷とまわしとか土俵入りの型とか 儀式やビジュアルとしてSHOW的要素もあわせもっているところだ。

プロレスだっていわばSHOW、見世物というか芸能要素が強いけど、お相撲はさ、ただただエキサイティングに!っていうのではなくて、伝統に裏づけされた品格とか、強者ならではのこころいきとか、ストーリーとかがほどよく見え隠れするところに、ほかの格闘技や武道にはない独特の味があるのだと思う。
格式高く、「見られ」ながら、美しく闘うといったところかしら。
この要素がバランスよくブレンドされた独特の世界がおもしろい。

前に、が~まるさんのライブの話で「粋」ってぇことを考えてみましたが、この「粋」っていう感覚の加減に似ているなと思う。

内舘さんの言葉をお借りすれば、朝青龍は数十年の逸材とも言える素質と力量をもっていたのだから、この強いだけじゃないヒールなだけでもない、でも品行方正なだけじゃない、っていう「粋」な加減を、いい意味でしたたかに貫き通して欲しかったなと思う。

嗚呼、昭和のヒール北の潮、教えてあげて。

自分で書いてて、興奮してきました。すっごい読みたくなりました。

おかえりなさい朝青龍

おかえりなさい朝青龍」をさっそく買いに行きまっす!

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しあわせ商法

霊験あらたかと噂の高い「幸せの鈴」なるものを受かろうと、同僚がとある有名神社に初詣に出向いたとのこと。ひとつ千円なのだが、こっちは恋愛成就、こっちは健康、これは金運・・・といろいろご利益別においしい文句でPRされており、言われて見ればあれも気になるこれも気になると、気がつけば5千円ほど散財してしまったと言っていた。
バナナの叩き売り式に、幸せの叩き売り。

幸せになるお札
幸せになる石
幸せになるお守り袋
幸せになるバンブー
幸せになるお財布に入れておく蛙
幸せになる野いちご
幸せになるケータイストラップ
幸せになる絵本

かつてうちにあった幸せグッズラインナップ。
自分から手を出したものもあるが、大抵ひとに勧めらられる。

「あべこさん!これ幸せになれるらしいですよ。」
「きゃー、ほんと?どこで手に入るの?」

なんてそのときはありがたく興奮して手に入れんと奔走したり散財したりするのだが。
よくよく考えたら、こんなにエネルギー使うほどそもそも私は不幸じゃなかった。
よく勧められるけど、はたして端から見ると私はそんなに幸薄く見えるのか?

ひとり身だって、十分幸せです。別に不幸ではありませんったら!!

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”大人はがゆい”女

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※写真と本文は関係あるようでないです。

今日は仕事でちょっとついてなかった。
それなりに対処してそれはそれなりの達成感で、ほっとして退社したのもつかの間、最後の最後にドジをやらかしてしまい、たくさんのひとにご迷惑をおかけしてしまっていたことを終電間近のメールで知り、深夜のオフィスに舞い戻る。
なんとか本日中に対処とお詫びを済ませ、満員の終電に飛び乗った、ら、

大嫌いなタイプのバカっぽいギャルとギューギュー乗り合わせ。
「なんか、チョー、足いたいんだけど・・・」
「後ろ?」
「うううん、・・・→→」
おお、おいらを目線で指してるのか、っていう雰囲気を背中で察知。

「しょうがないでしょ、混んでるんだから。っていうか、オマエら、行儀悪くルーズな姿勢とってないで横の隙間にちゃんと詰めればおさまるのに、ワザとケンカ売ってるのかばーか。」と、今このブログを打っている腕をそのまま後ろにスウィングさせ、凶器にはピッタリのシンプルを極めたオサレで鋭利なフォルムの佐藤可士和デザインケータイの角で頭を殴ってやろうかと思ったけど、おとななのでぐっと堪え、
おもむろにポケットからクロレッツを一粒取り出して咬んだ。

いきり立つ怒りを奥歯の租借で落ち着けようというわけでもなく、
さっき、すっかりお仕事完了のつもりで飲んでしまった上善の匂いをごまかすためでもなく。

これ以上ナマ言ったら、電車の降り際に、そっとヤツの安物のトレンチコートの背中に味の無くなった唾液まみれのガムをお見舞いして差し上げる準備のためだ。

ちっ、結局そんな勇気もなく、善良で賢いおとなはうっかりポケットに入れたまま洗濯などしてしまい、さらにミジメの境地に至らぬよう、かんだガムは紙に包んでくずかごへ!ちゃんと捨てた気弱なわたし。

ギャルのみなさーん、おとな、なめんなよ、あんたら思ってるよりいろいろおとなって抱えてるからね。

命拾いしたな、安心せい、峰打ちじゃ。

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人生はコントだ!

仕事でいろいろと思い通りにいかないことや、解せないことが続いている。

同僚に、
もーこんなことがあってさぁ、まったくバカげてて笑っちゃうよね!と理不尽な出来事の顛末を半ば皮肉って愚痴ったら、

「ほんと、会社ってコントみたいだよねー(笑)」

と彼女は言った。

なるほど。
この表現がとても気に入ってしまった。

ショートコント「会議」
ショートコント「人事」
ショートコント「給与」
ショートコント「上司の指示」
ショートコント「方針転換」
ショートコント「板ばさみ」
ショートコント「おとなの対応」
ショートコント「辞表」(笑)

さて、あなたが今演じているコントはどれかしら?(笑)
理不尽なことに出会ったら、近頃はやりのお笑い芸人風に、こころの中でつぶやこう!
あはは、ふざけているようで、これがけっこうなかなかいい。

ほんとうにあほらしいけどどうにもならない理不尽なことって、仕事してりゃあ、おとなやってりゃあ、そりゃいろいろありますけど。
もうそういうことは、どうにもならないので、いちいち真に受けないで、その滑稽さを笑ってみるのだ。

不真面目なように見えるけど、意外にそうやっていろいろ笑いとばしてみると、自分がなぜそこにいるのか、何を大事にしているのかみえてきたりするんじゃないかと思うのです。

もちろんそれが、「やりがい」とか、達成感とか、仕事なら何かの成果とか成功とかだったり、するかもしれないけど、そんな体裁のいいかっこいいことじゃなくたって、ぜんぜんかまわない。
もしかしたら、職業の安定だったり、お金だったり、人間関係だったり、始業時間が遅いとか職場の雰囲気がゆるゆるで楽だとか、ひとには言えないようなかっこわるかったりすることでもいいと思うんです、自分の中では。
(まあ、お給料を貰っている分プロとしてやるべきことはやるっていう最低限のこころいきが無いのは論外ですけどね。)

日々の些事を笑い飛ばすようにすると、ほんとうに笑えないことがかえって浮き出てくるとでもいいましょうか。
それが侵害されそうな危機を感じたら、そのときこそ深刻に考えるエネルギーを使うとき。

大好きな内館牧子さんがご本人のOL時代のお話を綴った「切ないOLに捧ぐ」の中で、同僚から随分長い間不可解ないやがらせのようなことをされていたことがあって、最初は悩んだがあるときから、自分にはその行動が理解できなかったので、何事も笑ってしまうようにしたら気が楽になって、そのあとはそれほど気にせずにその人と職場をともにすることが出来た、というようなお話を書いていたのを思い出しました。

いやな事も、深呼吸してちょっと離れた視点から逆さにしたりナナメにしたりして眺めて、あははと一度笑ってみると、案外たいしたことじゃないことに気づいたりするもんですね。

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予想GUYな白馬に乗った王子さま

今日は、60をちょっぴり超したちょいワルなおじさまと、40代の先輩の女性という超おとなな顔ぶれで、いつもの赤提灯に立膝のわたしの日常とは一味違うムードで、隠れ家的な恵比寿の素敵なお店でお食事をした。

下戸の先輩お二方をさしおいて、お言葉に甘えさせていただき、図々しく私だけ上等な焼酎をお洒落なグラスで頂いちゃったりしつつ、いい気分になったところで。

「実のところ、恋愛がめんどくさいと思うようになっちゃった。」「そうそう!」という話で盛り上がった。

自分で言うのも何だが、多分相対的にみると私はモテないほうではないと思う。まあ、どこからの線を「モテる」とするかという尺度によって、前言は正しい見解か、まったくのカンチガイであるか微妙なところなのだが(笑)、本人はおめでたいことに「あたしだってその気になればね。」と固く信じ込んでやまないわけである。

ちょっと前までは、そんなチャンスというかわずかな雰囲気や、自分の気持ちのときめきを察知したならば、実際にアクションを起こすかどうかは別として、心の中では「ここは積極的にアピールよ!」「いやいや先に手の内を見せたら負け、まずは相手からアプローチさせるようにする方法を考えるのよ。」とか、ひとり恋愛作戦会議が始終開催され、本屋では恋愛啓発本コーナで足が止まり、新しい下着を選ぶ基準が変わり(役に立ったためしが無い)と、一気にお目めにお星様モードのスイッチが入っていたのに。

今だって数は減ったが正直無いわけじゃない、あーこの人好きだなあたし、あるいはこの人あたしのこと好きなんだなーと思う瞬間。以前だったらそんなタネ火が眼に入ろうものなら、消えちゃったら大変とばかりに、灯油でもダイナマイトでも持って来てなんとか盛大な花火を打ち上げんと張り切っていたところが。

めんどくさい。

刺激はすくないけど、のほほーんとひとりで楽しむペースが出来上がってしまい、それを今さら乱すようなエネルギーがもったいない。そのタネ火が見たことも無いほど魅力的な光をはなっているか、あるいはほおっておいても自然に燃え上がってくれなければ、万一それが最後の灯火だったとしても、まあそれはそれでしょうがないかー。といたって事勿れ主義になってしまったのだ。

そういう火を見つけると、敢えて炎上しないように、気付けば意識的にコントロールしようとしている自分が。

そんな自分の反応に実のところ、自分が一番予想外でちょっと扱いあぐねている。
もちろん恋愛は魅力的だし、できれば一生現役、おんなでありたいという気持ちも健在。
さすがに、いつか誰にでも白馬の王子さまがやって来てとかいう幻想を心底信じているわけでもなく、恋愛には努力とか勇気とか「その気」とかはたまた「陶酔」とかいうものが大抵の場合は重要だということも知っている。

自分が実際にこの歳になる前は、きっと「いき遅れた」おんなはますます焦り、時には妥協なんかしながらもっと恋に貪欲になるか、あるいはなかばあきらめに近い卑屈な気持ちになるもんだとばかり思っていた。でもそのどちらでも無いのだ。

このまま、ずっとひとりで寂しい人生になってしまったらどうしようという不安をよそに、ぜんぜん別のところで、無理やがんばったりとかしたくないと決め込んでいる。

見目形がうんちゃらとか、歳の差がどうだの、キャリアだの持ち物だの育ちだの吊り書きの良し悪しなんて実はどうでも良くて、私が臭い匂いにガマンし、しんどい思いをして牧場に出かけていかなくても、茶色い馬だろうが足の短い農耕馬でもいいからあちらから出向いてくれて、気取ったセリフなんてまわりくどくて鬱陶しいからノーセンキュー。「後ろに乗る~?」とわかりやすく気取らずエスコートしてくれて、気立てがよくていっしょにきゃははと笑えて、このひとの後ろならお尻痛くなく長時間の乗馬もオッケーそうかもと思えるひとが現れたら、その人が私の王子さま!
そのときは、まあ鞍によっこいしょっと跨るぐらいの労力は喜んで惜しみませんよ。ぐらいの余裕をぶっこいている状態なのだ。(実にわかりにくいですね、すみません。)

高い理想は捨てなきゃダメよ。とか何か恋愛に幻想抱いてない?とかお決まりでアドバイスを頂戴するが、
妥協どころか、棚からボタ餅が落ちて来るのをまっているような図々しさ。

ある意味、白馬に乗った王子さまを待っているのに違いはないのですが、どうやら自分で想像していたのとはだいぶニュアンスの違う王子さまを「待っている」ようで。困ったものです。

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「大丈夫ですよ~」の罪

若い小娘に、
「そんなぁ~、まだ大丈夫ですよぉ~」
って軽々しく言われるのが、無性にムカつくという話で共感を得た。


今日は、久しぶりに元同じ職場のなつかしい面々と、思いもかけず嬉しい再会と銘うってお食事をした。

「出合ったあの頃って、そういえば何年前?」

当時ピチピチギャル二十代だったメンバーも、気がつけば全員三十路の大台に乗っていた。

とはいえ、当時から私だけ既に三十を越していて、本名の「阿部さん」は知らなくても、配属3日目にして決まったアダ名、「ねぇちゃん」のほうが社内で通っていた私、年月を経てもあいかわらず、ちょいとひとりだけオネエさんに変わりないのですが。
でも、なんだか世代が近くなったような気分で「そうそう、わかるぅ~」とおとなの会話で盛り上がりました。

成人式の記憶もまだ新しい、ハタチそこそこの頃の自分を思い起こせば理解できるはずもないものを・・・。
衰える美貌だの、劣る感覚だの体力だの、恋愛や結婚だの、子産み問題だの、そんなおとなの女ならではの焦りや悩ましい出来事を愚痴るほうがどうかしているとも思うのだが、思わずポロリと口から出たそんな話題のリアクションとして、シワよりニキビが悩みな若さで、箸が転がってもラッキョウが転がってもまだ笑えるだろオマエってぐらいのハタチそこそこの小娘に、「そんなことないですよ~、まだまだ『大丈夫ですよ~』」と軽々しく言われるのが、ほんとにハラワタ煮えくりかえるのだ。

「そんなこと!」ってどんなことか、あんた経験したことあんのかぁ~、
「まだまだ・・・」「大丈夫」って、おのれ、生きてる年数あたしより少ないくせに、何を根拠に言うとんね~ん、
そもそも「大丈夫じゃない」とも「生きすぎちゃった」とも誰も言っとらんのに、なに勝手に先回りしとるんや~!

と、奥歯をギリギリさせながら、江戸っ子のくせにこころの中ではなぜか関西弁で舌を巻いて、ついでに大蛇のようにトグロも巻いて、まさに逆鱗を逆撫でされた気分になってしまう。

さらに、大抵そういうことを言ってくれる彼らは、まったく悪気が無いのだ。

嫌味や、盛りを過ぎた女性への侮蔑の意味でそういうことをあえて言っているというニオイがすれば、あたしだって阿呆じゃないもの、「あっ、お子様にごめんなさい!おとなの話を」ぐらいのイジワルのひとつぐらい言ってやるものを。

大抵の場合、あきらかに善意なのだ。
理解できないけど何か敬意を表して相槌打たなきゃ、というリアクションなのだ、ってところが、さらに惨めな気分に追い討ちをかけ、わかっちゃいるのにカチンときている自分の小ささにまたまたいたたまれなく、気持ちのやり場に困り、穴が無ければ自分で掘って埋めてしまいたい気分になるけど、埋めるにはデカ過ぎる腹立たしさで。

落ち着いて考えれば、自分だって若かりしころ多分、自分自身がそこへ達したときが想像もつかないほど年上の女性にそんなようなことを口にされたとき、よくわからなくて困っちゃっうけど、とにかく何か励まさなくちゃって思って「大丈夫ですよ」とか「これからですよ」とか軽々しくたくさん言ってきたかもしれない・・・。今だって、無神経に一人前のおとなのつもりで言ってるかも知れない。


考えると恥ずかしくっていたたまれなくって、でもセツない「大丈夫ですよ」。

「どうも」とおんなじぐらい便利で口にしやすいですけど、若人の諸君、お気をつけあそばせ、

「大丈夫ですよー。」


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つまらない話を楽しむ

つまらないプレゼンの数々を2時間近くも聞かされた。

言葉に詰まって途中で引っ込む、
次、話の主旨不明。
次、原稿棒読み。
次、データ古すぎ。
次、皆それ知ってるけどそれで?

と、これは「人前で話すのが怖い!そんな自分を明日から克服できます。」
とかいうあやしいセミナーのロールプレイング発表会なのか?と錯覚してしまいそうなほどすさまじいのが次々と続いた。
立派なホールを借り切って、500人以上は招待されてるだろうと思われる立派なレセプションでのことだ。

嗚呼、早く帰りたい。
冷房きつくて足冷えてきたし、
椅子は固くてお尻いたいし、
おしっこ行きたくなってきたし。

ゴーモン、ゴーモン。


メニューも終盤、最後かな?というところでやっと場慣れした感じで流暢にお話される方が登場した。
ほっとしたのもつかの間。話の内容は皆さまヨイショ、でもホントはオレが一番好き、みたいなニオイプンプンで。

「・・・・みなさまのお役に立つ情報提供の土壌作りに・・。」「コンテンツ流通の土壌は・・・」「そうしたビジネスの土壌の活性化に私どもといたしましては・・・」

やたらと「土壌」を連発していた。

退屈なので、今日の晩ご飯何にしようかなーとか、何でベランダのハイビスカスは元気がないんだろうとか、宝くじ当選してっかなとか、写真送ってあげるっていって忘れてたとか、頭の9割5分で全然違うことを考え、残りの5分ぐらいでボンヤリと話を聞いていたら。

土壌、どじょう、どじょう、どじょう・・・・

ぜんぜん違う「どじょう」に聞こえてきて、おけの中でニョロニョロと泳ぐ黒々としたどじょうの映像で頭がいっぱいになった。
「役に立つどじょう作り」「どじょうの活性化」「コンテンツを流通させるどじょうの育成に力を注ぎ」

ぎゃはは、すごく面白い話だ。

どのような状況にも対応できるよう育成された付加価値の高いどじょうが、お豆腐の中まできっちりローコストかつ効率的にささった、高品質で差別化された柳川。
今まで骨の歯ざわりがネックになり、食卓導入へ躊躇されていたお客さまにもご満足いただける柳川の実現。
マーケットのサイクルが従来無いスピードで入れ替わっている近年、デジタル化のメリットを最大限に活用し、
時代に適応したきめ細やかな対応が可能などじょうを提供したいと日々尽力してまいる所存でございます。


ぎゃはは。急に楽しくなって、もっといろんなどじょうの話を聞きたいと思った。

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おとなの女が顔から転ぶと、

おとななのに、派手に転んだ体験自慢の茶のみ話をした。

人妻になりさらに魅力を増した、清楚なイメージで通っていると思われる会社の同僚。
銀座の真ん中の植え込みに、漫画のようにまっ逆さまに乗っていた自転車ごと頭から突き刺さり、抜けなくなって知らないひとに助けてもらったことがあるという、爆笑な告白だった。

「もう、『顔なんてDVですか?』って言われそうな感じの傷ができちゃってさ。」


『お年頃』になって顔に傷つくったりすると、

「DVかしら・・・」

か、

「酔っ払って、転んだのかしら・・・」

と、思われるのが関の山だ。

どっちに思われるのがましかって、

微妙だ。



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思えば原点。なつかしい本がドラマティックに届く

頼んであった、こどもの頃の思い出の本と、欲しかったフライパンがAmazonから届きました。

Miri_mimi

ずっと忘れていたのに、子育て中のお友達と絵本の話をしていて急に思い出したこの本。

おんなのこがお留守番中に、おしゃべりできるようになった大好きなうさぎのぬいぐるみとカップケーキを作り、夢のようなひとときを過ごす話。
お話の最後にカップケーキのレシピが載っていて、何度も作った思い出が。

おはなしと思い出までは走馬灯のように一気に思い出したけど、どうしても題名が思い出せない。
既に処分してしまった、あの本を無性にもう一度読んでみたくなった。あの素朴なレシピでカップケーキをこどもの頃を思い出して焼いてみたくなった。

すごいっ、ビバGoogle!素敵な時代になったものです、こころあたりのキーワードを入れて懸命に検索したら見つかった!
さらに感激なのは、探せば同じような懐古の情を共有しているひとが世の中にいたこと。

さらに、ドラマティックなことに、丁度マンションの入り口に帰り着いたとき、帰ろうとしているペリカン便のお兄さんとすれ違いました。ふと見るとアマゾンの箱を小脇に抱えている、すれ違ってから、ハッとして呼び止めた、「あ、すみません、それあたしの荷物かもしれない。」
すごい偶然のおまけつきで、なんだかさらに嬉しくなりました。

すぐに箱をあけて、なつかしい気持ちにキュンとしながら読み返しました。

Miri_mnimi2

・・・なんか、どこかで見た魅かれる構図・・・。猫村さん?!ではありません。(笑)

たのしい時間をすごしているうちにクライマックスのハプニングが起こり、夢のような体験をした主人公のおんなのこが現実に戻ると、さっきまでおしゃべりできたぬいぐるみのミミは、何事も無かったように話しかけても黙ったままの、ただのうさぎのぬいぐるみに。でも、しっぽと足にオーブンで焼けどした焦げが、ふたりで過ごしたひみつの時間の証として残っている、というシーンでは、こどもの頃と全く同じじーんと切ない気持ちがよみがえってきました。

それまでにママレンジにも夢中になったこともあったけど(同年代しかわかりませんね(笑))でも母に作ってもらったタネを焼いてまさに、お料理ごっごのおままごと。
思えば、この本でいろいろな材料に、味をつけたり、ふくらましたり、それぞれ役割があって、そのやり方次第で、うまくいったり失敗したり、料理をするということをはじめて知ったのでした。

この本を母が選んでくれたとき、母はわたしと同じくらいの歳だったんだなぁと思うと、また感慨深いものがあります。

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「アベコとピーコのひみつのじかん」

少しずつ、ほったらかしにしていたこちらのほうにも美味しかったおすすめ料理のレシピを更新しています。

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さようなら、ありがとう、阿久悠 先生

先週の金曜日の話だけどNHKで、先日逝去された作詞家 阿久悠の追悼番組を見た。

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幼稚園のとき、およげたいやきクンの次に自らおねだりをして買ってもらった初めての歌謡曲のレコードは岩崎宏美の「ロマンス」。
当時は、普通の幼児が教育の場で愛だの恋だのおとなの歌謡曲を歌うなんて、まだあんまり好ましくないという眉をひそめるおとながいる時代で、おうちで歌っていると母に幼稚園では歌っちゃだめよと言い聞かされていたにもかかわらず、ある日先生に「みんなの前でお歌をうたいたいっ!」とお願いして、ステージに見たてた大きな積み木の台の上でお尻ふりふり岩崎宏美になりきって歌った快感が、わたしの目立ちたがり屋の原点だ。

小学校低学年のときは、けっこう真面目に大きくなったらピンクレディーになりたいと、実は思っていた。ビデオも無い時代今思えばよくあれだけの歌詞と振り付けをおぼえられたもんだと思う。

そんな感じで私は阿久悠を聴きながら阿久悠に情緒をおおきく形成されながら育った。
追悼番組から流れてくる名曲と映像の数々は、忘れてたこどものころのこと、あのときあんなこと考えてたとか、これに夢中だったとか、いろんなことを思い出させた。

阿久悠先生のめざしていたところはTV時代にあって、時代の求めているものをキャッチしながら、でもそこに媚びるのではなく、本物の日本語で真剣勝負したい、というところだったと、ゴールデンコンビである作曲家、都倉俊一が語っていた。

時代おくれの男になりたい

気絶するほど悩ましい

どうにもとまらない

地球の男に飽きたところよ

時には娼婦のように

また逢う日まで

ざんげの値打ちもない

青春時代の真ん中は道にまよっているばかり

ひとはみな孤独の中、あの鐘を鳴らすのはあなた

おお、おとなになってあらためて眺めてみると、ひとつひとつは奇をてらった新しい言葉を使っているわけじゃないけど、わかりやすい言葉で且つ聴く人のこころに余韻を残し、なんと印象的でグッとくるフレーズばかりではないか。

父がいっしょに歌番組を見ていると「まったく最近の歌は何言ってるんだかわからないし、何でいちいち必ず英語つかわなきゃいけないんだ?」とかならずブツブツ文句をいう。
娯楽なんだから、今時の流行なんだから、つまんないこと言わないで黙って楽しみなよ、とこころの中で思っていたが、なるほどあらためて、父の言っていることに納得してしまった。

以前少しの間、ある人気WEBサイトで、いくつか面白いと思うサイトをWEBサイトから探してくるという仕事をした。独特のセンスで注目を集めていたサイトでの初仕事、少々力み気味ではりきっていた。でも果たして自分の面白いがひとに通じるか自信がない。
あれこれ迷って結局「多分、こういうのを読者は面白いとおもうのだろう。」というものを入稿した。要はウケ狙いに走ったわけである。
WEBマスターに見透かされてしまった。「あべこさんがほんとうに面白いと思うものを真剣に選ばないとダメです。」と叱られて全部やり直した。
なるほど、どうしてそのWEBマスターがサイトに人を集めることができるのかがわかり、感服した。

求められているものを感じとり、でも媚びることなく、ひとりよがりになることもなく、本当に価値があるというものを追求し提供する。
阿久悠先生は、ものすごく優れたマーケッターであり、めざしていらしたところは普遍的なひとのこころを掴む真理をついているんだと、つくづくまたまた感服してしまった。

さらに、
生前のインタビューの中で、「不幸の一歩手前のせつなさっていうのかな。豊かになって生活の基盤が整っていても、どこか満たされないものを感じているひとが世の中にいっぱいいて。明日死んでしまうとか、どうにもならないとかいう不幸ではないんだけど、でも満たされない、不幸のいっぽ手前のせつなさみたいな、上質の感傷というか、そういうものを表現したいと思う。」というようなことを言っていた。

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まさにおひとりさまの心境じゃないっ!

すごい、すごいは!やっぱり阿久悠先生。

ところで・・・

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↑ わたしのスピリチュアルカウンセリングの先生がクリソツなんですけど。(笑)

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スピリチュアルカウンセリング
-そして信じるものは救われる。

エピソードでつかみはオッケー。キレイにまじ話でまとめるつもりが、あやうく鳩にジャマされた
いや、原因はわたしの怠慢です。(^^ゞ

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「あっ、その日あたし早い時間からは無理、スピリチュアルカウンセリングの予約があるから。」

と、職場のみんなで宴会の相談をしているときに言ったら、

「え゛~えー!!あべこさんどうしちゃったの、とうとうスピリチュアルナントカだなんて、だいじょうぶぅ~!?」

とその場のみんなが興味津々半分、懐疑の目半分でちょっとひいてしまった。

「っていうか、違うんですよね!スピリチュアルがどうのとかっていうより、『カウンセリング』を受けたいんですよね。」
と、そうそう、まさにそれっ!って私の心境にしっくりくるフォローをしてくれた人がいた。サンキュー。

最近の私といったら、人生最大のピンチってほどでもないけど、信じて頑張ってたのにがっかりすることとか、いつかやってくるのはわかってたけど、どうにもならない現実にいくつも直面してこの先を憂いでみたりとか(例えば老化とか結婚とか子産み期限とか(笑)でもマジ深刻!)、ネガティブないろいろが急に重なって前途洋々気分とはほど遠い感じが続いていた。

ひとつひとつは、客観的に見れば、こんなことでいちいちクヨクヨしちゃったらおとなげなくて恥ずかしいようなことばかりで。
そもそも能天気なアホ気性「こんなのあるあるダイジテン!まあ何とかなるわよー」って概ねやり過ごしているつもりだったけど、それに比べて心うきうきするポジティブ要素には思いのほかご無沙汰で。
気がついたら、拮抗していた希望と不安のバランスが崩れつつあるのに気付いて、ちょっとヤバイなと自分自身のことを思いはじめていた。

半日か1日で直っていた風邪や倦怠感を、近頃は2~3日以上引きずってたびたび悩まされるようになった。
寝る前の布団の中で今日の思い出し笑いをしてニヤニヤしたままワン・ツー・スリーで眠っていたのが、あれこれ心配ごとに悶々とし涙を流しながら、でもやっぱりワン・ツー・スリーであっという間に眠りにつくことが多くなった。
酔っ払うとやけに陽気になって大きな声で挨拶したりして人に恥ずかしい思いをさせていたのが、度々泣き上戸になってみんなにおもしろがられるようになった。
もともと多かった独り言が、職場公害並みに増えた。

イカん、イカんのだ。

人事でキャンペーンやってるストレス相談にダイヤルするほどでもないし、神経内科に通って抗鬱剤を処方してもらうほどでない。

でも、そろそろヤバいって自分で思う、このままいったらヤバそうなのだ。

だからって、そういうことは早めの対処が肝心とばかりに、そういうところに頼ってしまう、という一線を越えてしまったら余計に自己暗示にかかって、必要以上にあたしは半ビョーキ、かわいそうなの、ってな深刻モードに入ってしまいそうだ。

そんじょそこらのポジティブシンキング自己啓発本のたぐいは20代の頃にもう読み飽きた。
友達に相談するには、相手も答えに困るだろうと思うようなどうにもならない愚痴になってしまいそうなネタばかりで申し訳ない。
いつもならあやかっていた若い友人達の「大丈夫ですよー」ってなヤングパワーも、今の状況では「あなたにはまだわからないわね・・・」と年増おんなの孤独を余計煽るばかりになりそうで逆効果だ。


縁あって、「おもしろかったよ!興味ある?」と親友から薦められたスピリチュアルカウンセリングは、そんな状況のわたしには願ったり適ったりで、これでしょっ、これっ、って感じで妙に腑に落ちた。待ってましたとばかりにすぐに予約をとった。

当たるも八卦当たらぬも八卦なロマンティックな要素ありつつ、『オーラの泉』大好き人間のわたしにとっては一度やってみたかったレクリエーションぐらいの気軽な気分で赴くことができた。そしてアカの他人になら、見栄をはったりせず正直になって、立場や性格違うから通じないかもと気兼ねすることもなく、ちっちゃな悩みのあれこれも吐き出せそうな期待があった。お金払うんだから、あんた、そんなこと何言ってんのなんて鼻で笑わせやしないわよ、っていう上目線でいける気楽さがあった。


でも先生にはやっぱり「結局、贅沢なのよ、贅沢な悩みなのっ!」と優しく叱責された(笑)

「わたしのところには、明日さえどうやって生きていったらいいんだろうっていうような深刻な問題を抱えたいろんな相談者がたくさん来るの。あなたはいろいろあるかもしれないけど、尊敬にあたいするほどしっかりした愛情にあふれる両親や家族がいて、面白くないことあっても十分生活していけるお給料が貰える仕事があって、健康でまだ若くて(言われてみれば、世間相対的に見れば若いほう。)、たくさん友達がいて。そしてすばらしい未来が用意されているのに(エピソード2のこと)、なんで悩むことがあるのーっ!?」と。

そのとおり。
今までおんなじことを実は自分で自分に言い聞かせてなんとかやってきた。

でも、いろいろ重なると「あたしってもしかして能天気バカかも・・・。」って、疑わしい心境になるときだってあるのだ。
究極、自分を信じる、自分「だけ」を信じるって、最強であるとともに、なんとこころ細いことか。

そんなときに、アカの他人に、しかも私が見えない何かが見えているかも知れないと思わせる背景のあるひとに、あらためてそういわれたら。

わかってるんだけどねっ!うーん、うーんって頑張ってひとりで力んでもなかなか向こう側にどうしても倒れないスイッチが、いとも簡単にバッチン、って向こう側に押された感じだった。

そうですよねー、そうなんですよー。アハハ、あたし甘ちゃんで恥ずかしいですよねーと、実際先生に言いながら(笑)すんなり納得して心に染みた。

幸いなことに、家に代々の怨念がとり憑いているので今すぐ家屋を焼いて山に入りこの壷を後生の宝しろと言われたわけでも、前世はりオのカーニバル・ダンサーだったので、今すぐ踊り子めざしてブラジルへ飛べっ!とも言われなかった。(笑)

そこがびっくりでもあるのだが、何が好きで何をしてかろうじてストレス解消をしているかとかの話もしなかったにもかかわらず(!)今ささやかながら楽しい時間-料理、の腕を磨けと言われた。

単なるストレス解消のひとつ、ひとにご馳走することができたり、生活を充実させる当たり前のこと、ぐらいに思って何気無くやっていたけど、視点を変えてみると毎日の晩ご飯の仕度をする気持ちだって全然違う楽しい時間になった。
真面目に平野レ・・・いや、栗原はるみになれるなんて思っちゃいないけど(笑)、楽しいんだから「得意っていっても所詮日常の生活じみた素人仕事ですから・・・」なんて卑屈になったりしないで、もっと欲を出して技を磨くべく真剣にやってみてもいいかもっていう気分になったら、だんぜん楽しくなってきた。

先生にそういわれたとおりになるなんてわかんない。けど守護霊様がそう言ってるなんて、ちょいと恐れ多そうなエッセンスが加わると、意外にもやけに信憑性がましてくる。そういうことだってあるかも、なんてすんなり受け入れたりできる。

そうして気がついた。
今がつまんないからって、この先もずっときっとこのまま歳とともに心配ごとがどんどん増えて、孤独に淡々とした人生を送るんだろうなだなんて、なんで心のどっかで勝手な未来予測をしていたんだろう。
あたるとかあたらないとかの問題じゃなくて、先のことなんて良くも悪くもわからない。いちばんつまらないのは、予測もつかない先のことにクヨクヨして暗い気持ちで今を楽しめないことだ。

急に、ずぅっと前に見るでもなくつけっぱなしのテレビから偶然流れてきて、ふと心にとまったドラマのセリフを思い出した。

「少し先のことを考えないのはバカだけど、でもどうなるかわからないうーんと先のことばかり考えて今ある何かを犠牲にするのはもっとバカげてると思わない?」

そうしてわたしは、みんなの心配をよそに、ちょっといいエステをフルコースで受けるぐらいの高いカウンセリング料のもとはとれたと思えるぐらい、スピリチュアルカウンセリングで生気を取り戻すことができた。

そんな話を、紹介してくれた友達にスピリチュアルチェック報告会?(単なるお食事会(笑))で話したら、彼女は、

「そうよ、結局、気持ち次第なのよ人って。」

と言った。

そのとおり。
でも、わかっちゃいるけど、究極「はまる」と自分にいくら言い聞かせてもこころの底ではどうにもひどい不安から抜け出せなくなってしまうことがある。

そんなとき、実は意外にも現実的な形ある何かよりも、目に見えないこういうもののほうが役にたったりすることがあるということを知った。

信じるものは救われる。

こういうことかとあらためて体感した。

無宗教国家と言われることもある日本の日常。宗教じみた話を真面目に匂わせたりするとハナから敬遠されてしまうのが常。
気まぐれでお札をかけてみたり、子どものころには日曜学校で聖書を読んだり、1年に1度くらいは初日出を拝んでみたいと思ったり、初詣に人ごみをかき分けて厄除け祈願することはあっても、イベントが済んだら所詮、信心深いところなんて皆無に近い私、信仰について真剣に考えたことなどなかったかもしれない。

時には争いの火種になって人をあやめたり、身上つぶしたり、それを餌にあくどいことに走ったりする輩がいたり、行き過ぎるととんでもない災いになりかねないけど。万国共通太古の昔から、様式や信じる神の種類が違っても信仰や宗教は不可欠なこととしてついてまわる。ヒトの精神上やっぱり必要で自然なことなのかもしれない。信仰をとおしてこころが救われて何とか明日生きていけるひとがたくさんいるのだ、きっと。

学生のとき、それコロッケの味わからないでしょ!ってぐらい、何でも真っ黒になるくらいソースをかけてご飯を食べるブルドック中毒の人がいた。
カレー嫌いって言ってた人、よくよく聞いたら実は別にカレー味が嫌なわけじゃないけど、カレーって一度食べるとその後ずっと全てが口のなかカレー味になっちゃうのが嫌で食べないということだった。
ある老舗の一流料亭の板長は、舌を狂わせるので胡椒は口にしないとテレビで言っていた。

人生のスパイスみたいなものだ。

素材本来の味がわからなくなっちゃったり、全てがその味付けで左右されてしまったり、大事なことが狂わされたりしてはダメだけど、ときにはやさしいナチュラルな味じゃ物足りなくて、強烈なスパイスの刺激がたまらないってときもある。

本来の旨味は、素材本来の味や、料理人が下ごしらえで時間かけた出汁の風味とか、微妙な塩加減がメイン。
でもでも、あたしもよくやる手だけど、何だか上手く味がさだまらないときはスパイスとかハーブとかちょいとピリリッと効かせてまとめてしまうこともある(笑)。

そういうことだ。

って、料理でまとめたところで、おあとがよろしいようで。^_^V

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スピリチュアル カウンセリング
-エピソード3

何も話していないうちから、いきなり、

「あなた、料理やってください。料理であなたはよみがえりますよ。」

と言われてびっくりした。

「立派な先生になって、本をだしたりTVにでたりするでしょう。」


きゃぁ。憧れの栗原はるみってこと!?
あたしは、未来の栗原はるみ!
きゃぁ~かっこいいー!

はーるみ、はるみ!
と、うきうきして、そのあと会うことになっていた会社の同僚に、

「あたし、がんばったら料理家として大成するんだって!有名になるぐらい成功するんだって!」

って報告したら、

「あべこさん、平野レミですかっ!」

って言われた。

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スピリチュアル カウンセリング
-エピソード2

でも、今世ではちゃんと人生のパートナーを得るそうです!うふっ。

「ドラマの『プロポーズ大作戦』見てた?ほら、ちょうどあの子みたいな人とあんな感じの恋愛をしますよ。」と先生。

え!?NEWSの山下 智久クンみたいな人!!

やっだ~あたしってやっぱり2枚目と結ばれることになってるのね!きゃっ。


主人公の友達の小っちゃいこいるじゃない、あんな感じ。」

 えっ。(笑)

「ちょうどあーいう雰囲気で、アウトドア好きのその小っちゃい彼と、老人になっても末永く仲良く暮らしてるのが見えるの。」

へぇ~、へぇ~。
あたし、自分が大女のせいか、どっちかっていうとコンパクトな男子が好きだし。たのしみだわぁ。


あれから、やたらと街で小っちゃい殿方を目で追ってしまう、とても俗世的なわたし。


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スピリチュアル カウンセリング
-エピソード1

スピリチュアル カウンセリングをうけることにしました。
例のほら、オーラの色とか、前世からの因縁とか、守護霊のメッセージとか、そいういうやつです。
ご期待にもれず、


前世も独身でした。


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紀香、いいわねぇ〜

紀香、いいわねぇ〜
勝ち犬の中の勝ち犬、
カチイヌ オブ カチイヌ・・・

この際、ムーディーくんでも悪くないかも、視点を変えてさ。

と一瞬、わけのわからない妄想が頭をよぎった、負け犬でした。

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タイムマシンのつかいみち

ニフティで新しく始まった「about me」というプロフィール公開サービスに登録してみました

仕掛けとして、ここに登録した人たちが作成した質問に答えることで、訪問者にその答えの一覧から、自分のひととなりを推察してもらう(?)という仕組みがあります。

みなさんの質問の質問にどんどん答えていたら、意外に感慨深い質問が出てきました。

タイムマシンのつかいみち

ただのお遊びにもかかわらず、なんだか自分の生き方の根本の姿勢を問われたような気がして、ちょっと真剣に考えちゃいました。

もっと、こうだったら・・・、あのときこうしてたらどうなったかしら・・・って思うターニングポイントともいえる時期は、そりゃあ40年近くも生きてりゃいっぱいあるんです。でもあらためて「過去に戻って変えられるけどどうする?」って問われたら、いやだな、って思いました。一見つまんないことも、苦い失敗も、悲しかったことも、全部ひっくるめた積み重ねで今があると思ったら、なんだか思い通りにいかないことも、理想と違うあり方も、いろんなことが愛おしくて、「あ、このままでもいいかな。変えたくないな。」っていう気持ちになりました。

この先、嫁に行けるのかとか(笑)、ちゃんと食いっぱぐれないで仕事をしていけるのかとか、これ続けていいのかとか、何歳まで生きられるのかとか、未来に対しての心配ごとは尽きない。先回りして準備をしておけたら、失敗を回避できたらとも思うけど・・・でもさ、どういう風になるんだろうって希望とかワクワクとかはたまた、こうなりたい!ていうがんばりとか工夫とか、そいうのが無い毎日ってあんまり面白そうじゃないなぁと。


ところで余談ですが、

「タイムマシーン」

って伸ばすと、ものすごく昭和のにおいがするというか、手塚治虫っぽい感じがするけど、

「タイムマシン」

って伸ばさないと、ものすごくお洒落で小粋で垢抜けたロマンチックな感じがするんですが。

そんな風に感じるのは私だけ・・・?

って、about me で質問してみようかしら。

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安い同情

車内レイプしらんぷり 「沈黙」40人乗客の卑劣

誤解を恐れずに言えば、私はこの手の論調が嫌いだ。

夜のニュースでも、この人とは思えない犯人の卑劣さよりも際立って、乗客達は何をしていたんでしょうか?といったムードを強調する報道ばかり。

この電車に乗り合わせたひとたちはどんな心境でこの報道をうけとめているのだろうと思うと本当に気の毒になる。

そのときの光景を想像してみれば、犯罪を防げなかったその場に居合わせた人たちをまるで共犯者のように「薄情」だなんて、そう簡単に言えるだろうか。

泣きながら女性が引っぱって客室から連れ出されようとしている、男が凄んでいる。(その状況だけで、誰がまさか乱暴目的でトイレに連れ込もうとしてるなんて思うだろう?)そんな痴話げんかの光景なんて、けっこう街中で見かける荒んだ世の中だ。

他人のプライバシーにやたらと入り込むもんじゃないないっていう、正論でもあり問題でもある風潮が今どきの常識といわんばかりに一般的になっていることは周知のことだ。

>「道徳の問題で、単純にそういう状況になったときにみんなで何とかしましょうよ、という教育をこれまでやっていなかった」

と橋本弁護士がコメントしているように、今の私たちの世間との関わり方を隠れ蓑とした犯罪がおきたことが問題であり、危惧すべきことであるのだ。

私は以前に駅で偶然見かけたケンカを駅員に通報したことがある。
酔っ払い同士の殴り合いであったが、片方が半ば錯乱状態でちょっと尋常じゃなかった。殴り合いで片方がついに口から血を流して倒れた。もう片方は狂ったように怒鳴りながら、そのうずくまって倒れている相手を力いっぱい蹴り続けていた。ほかの乗客のひと達も、電車からもみ合いながら2人が降りてきたときから、静止しようと取り囲んでいたが、殴り合いの勢いは激しく、誰もが勇気を出すタイミングを逃したまま、その尋常じゃない状況になるまではあっという間の出来事だった。
このままでは、死んでしまう。
そう思った私はプラットホームの上にある駅務室まで助けを呼びに思いきり階段を駆け上がって、改札口で叫んだ。
「助けてください!大変です。ホームでひどいケンカです。このままでは死んでしまう!」
駅員さんを連れて急いでホームに降りると、ほかの乗客数名がまだ暴れようとしている酔っ払いをなんとか押さえ込み、横たわったひともさいわい意識があるようだったが、ホームには血が流れひどい光景だった。

私はあのホームを駆け上がった時の恐怖を今でも覚えている。錯乱している犯人が私に気付いておいかけてきたらどうしよう、恐い。心臓がどきどきし背中から肩にギュッと力が入った、膝が震えて躓きそうになりながら必死に階段を駆け上がった。駅務室に向かって大声で叫んだときは半べそだった。

そういう体験をしたことがあるなら、こんな簡単に黙って見逃すなんて卑劣だ、何をしていたんだ、なんて薄っぺらな感情論でこの事件をあれこれ言ったり出来ない。軽々しく自信たっぷりに、私だったら助けに行きますなんて言えない。

論点がずれてる。まずは問題は、こんな非情で危険な人物がフラフラと世の中にのさばっていたということだ。
公然の場でのちょっとした揉め事の光景が珍しくなくなり、他人のことには軽々しく介入しないという風潮が防げたはずの犯罪を簡単に起こさせてしまったということだ。

小学生の道徳の時間の思い出。

物語を読んで、どう思うか考えて作文を書くという課題。
歯医者さんの待合室で後から来た小さなこどもがぐずり、母親が困っているのに、だれひとり順番をゆずらなかった。自分も譲ってあげる勇気が出せなかったことを後悔した女の子のお話だった。

子どもなりに私はいろいろ考えて、歯の病気は大抵すぐに生死にかかわるものではないし、ほかの患者さんだって痛いのをガマンしてるかもしれない。順番は守るべきだし、騒いでいる子どももガマンというものを覚えるべきだと思った。
正直に「だから、主人公は後悔なんてする必要はないと思います。」と作文に書いたら、ちょっとした問題になった。先生に父母面談のときに情緒的に問題があるぐらいのことを言いつけられて、母は私を責めたりはしなかったが、心配し私の行動をどう解釈してよいか少しナーバスになっている雰囲気を感じとり、ひどく傷ついたものだ。

実のところ、普段私は些細なことでは、薄っぺらな感情や同情で動いてひどい目にばかりあっているので、こうしたことでは感情で失敗しないようにバランスをとってるのかもしれない。

今日だって、同僚と一緒の帰りのホームで気のいい酔っ払いおじさんが急に話かけてきて、別に気持ち悪い話とかケンカ売ってるとかじゃなかったので、無視したり無下に扱うのも何かと思い、適当に「そうですねぇ~」とか世間話につきあって相槌をうってあげたら、調子に乗ったおじさんは電車に乗ってからも嬉しそうに大きな声で「女性専用車両の不平等が象徴する現代社会の歪みについて」を語りつづけ、「そうだよな!若いひとには考えて欲しいのよ!」とかいって、気安くバンバン背中はたたかれるは、恥ずかしいわ、同僚にも居心地の悪い思いはさせてしまうわで、後悔したばかりだ。

嗚呼、やっぱ安い同情キライ!(笑)

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すきじゃないっすね、実際。

昨夜ニュースの最近の野球ばなれについての街頭インタビュー。

「野球は興味ありますか?」

「あー、好きじゃないですね、実際。

カメラに自意識過剰気味の頭の悪そうな男が答えていた。

何の実際?

こいつ、多分なんでも「実際」っていちいちいうヤツだきっと。

「なんか、女の子とかとはなすじゃん、実際。」
「実際、オレッて、ほらこんなじゃん。」

実際、実際ってあんた、普段は虚構の中ばっかりで生きてンのかよ。っていいたくなるよくいるタイプ。


以前やたらといちいち「変なはなし、・・・」と枕詞をおいてしゃべる人がいた。
「変なはなし、馴染みの店とかいくじゃん。」
「変なはなし、仕事でプレゼンするじゃん。」
「変なはなし、オレ車持ってるじゃん。」

別に、どれも変じゃないから。普通だから。その先に続く話も別に日常の出来事で、ちっとも変じゃないから。

この手の口癖って、「ほんとのこと言うとね」っていう気を許してまーす、正直なんですよあなたの前ではボク。
ってことを無意識にアピールしようとしているような心理が見え隠れするけど、余計作ってる感じがするのか、いつもハナについて鬱陶しい。

まだ表現が貧弱でも、ギャルの「うっそぉ~」「まっじぃ~」「いみわかんなーい」「やばくねぇ?」っていうほうが感情表現は正直で好感が持てるってもんです。


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おっぱい星人と呼ばれた男

朝、ギリギリで出社してしまったら、よりによってもエレベーターがなかなか来ない。
1分を争うんだから途中階で停まっている時間は無いの、お願いだから直通であたしのオフィス階まで!と祈るようにハラハラしながら、やっと乗り込んで、動き出したと思ったら、売店のある2階でのん気なチ~ンという音を立ててすぐ停まった。
扉が開いたら、またまたのん気に売店の袋をプラプラ提げた某氏が乗り込んで来た。
ギリギリに出社して来たのが悪い自分を棚に上げて、

売店なんてこの時間はずらして行きなさいよ、

このぉ、おっぱい星人!

と思わずこころの中で叫んでしまった。

実は彼のことは名前も時々忘れちゃうくらい接点が無く、あまり存じ上げない方なのに。

もう数年前の話なのだが、当時彼と同じセクションで仕事をしていた女性A子が、涙ながらに彼のことを愚痴っているのをたまたま聞いた。私も何度か見かけたことがあるくらい、彼は当時ひと目をはばからずラブラブの彼女が社内にいた。
で、A子の涙ならの愚痴を要約するに、彼はオフィス・ラブにうつつを抜かすあまり、業務がおろそかになっていて、そのしわ寄せがA子にいつもふりかかり毎度理不尽な思いばかりをされているということだった。そのとき彼女が激情のあまり口にした、半ばやけっぱちと八つ当たりの「あのバカッップル!あの女もおっぱいばっかり大っきくて、バカみたいだし。あいつ、あのおっぱいの虜なのよ、きっと、ば~か。涙」(すごい、おっぱい差別 ^^;A)ってな、忘れていたセリフが、瞬間、私の脳裏にフラッシュバックしたのだ。


別の職場に勤める友達の同僚が、めでたく社内恋愛の末、結婚することになったという話。
「それがねぇ~、周囲がなんとも手放しでおめでとう!って内心言いにくくてね・・・。相手が、人柄がっていうより仕事のことで、社内でものすごい評判の悪いひとでさぁ。みんな心の中では、えぇ・・・あの人ぉ!?って思ってるから。何か社内でそういうのって、いいようで、複雑でめんどくさいなぁ・・・って。」

まあ、結婚とか恋愛って個人的な本人同士の問題だから、究極アカの他人が興味本位でどうこう言ったからって、別にあれでこれでそれなんだけど。
でも会社って、在職している限りは周囲のひとたちと一応何かしらのおつきあいがあったりして、時には競争相手だったり、折り合い悪ければこころの中ではイガみあってたりするのに、場合によっちゃ何年もの間、家族より毎日いっしょにいる時間が長かったりするひともいて、うす~い範囲で、やたらとお互いいろいろ知っていたり興味を持たざる得なかったりする中、誰かと誰かだけ超特別になったりすると、いろいろ面倒なもんなのねぇ。

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些細なことだから

耳の入り口あたりに何かできた。

仕事中に髪をかきあげようと思って指が耳の穴に触れたら、ズキっとちょっと痛かった。
痛みの具合からすると、多分吹き出ものみたいな大したことない何かだと思うんだけど。

でもそういや、おととい久しぶりに耳掻きが気持ちよくて、テレビ見ながらカリカリ長いことやってしまったけ。
そのとき傷つけたのかも・・・外耳炎とかの前兆だったらどうしよう・・・。

とかいろいろ考えたら、仕事もそぞろ急に気になりだした。ほんとにぷちっと大したことないできものが、できてることが確認できれば、なーんだ、気にすることねぇ、と安心できるのに。

しかしいや待て、口の中とかだったらお手洗いで誰も見てないすきにべろーんと唇でもめくって鏡に映して確かめるとか、背中なら更衣室で仲の良い女性の同僚にでもたのんで、ちょいとシャツでも引っ張って「ここ、ここんとこ何かできてる?」と見てもらうことはできるが、さすがに耳の中を見てくれとは他人には恥ずかしくて頼めない。

まあ今度の週末に実家に帰ったときにでも、まだ痛かったら母にでもちょっと見てもらうか。

しかしだ、今だって老眼ひどくて果たして見てもらえるのか?ってくらいなのに、年老いた両親が近い将来この先いなくなってしまったら、そのとき、こういうとき誰に気軽に「ちょっと耳ん中見てくれる?」なんて頼めるのだろう。

ふつうは気心しれたステディなパートナーとか旦那さまとか、こどもとかに頼むのか?

些細なことで、いや日常の些細なことだからこそ、ふともの悲しさを感じてしまった。

うえ~ん、さみちぃー。

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ハケンの品格 最終回

安っぽいドラマねぇ~と噂しつつ、ついつい気になって最終回見てしまいました。

どうやら、派遣スタッフのアイディアが大当たりしたことを通して「働く」とか「仕事の成果」とか「チームワーク」とか、そういうものには、雇用形態なんて関係なく・・・云々というストリーだったようだ。

わたしが派遣社員として働いていたときに体験した、現実はそんなドラマみてぇじゃねぇよだけど、根本は同じような体験を思い出した。

一応ひととおりの社会人経験のあるわたしからみたら、こいつ何思い上がってんだ?と日ごろから思っていた、礼儀知らずの上昇志向丸出しで、たまに丁寧に接してきたと思えば慇懃無礼なカンジが鼻につく、隣のラインの若手男子社員に、ある日、自分が開発中の女性向けサービスについて感想をヒアリングされた。

その質問自体が「ぼく男なんでぜんぜんわかんないですけど、こんなカンジ、おんなのこってカワイイとか思うんですかね。」みたいな、ターゲットとするお客さまを潜在的に舐めたような質問の趣旨もちょいと鼻についたが、まあそこは浅はかな質問にはテキトーに「いいと思いますよ!とっても」とテキトーに答えておきながら、ところで・・・。

当時、来る日も来る日も、集計や単純な事務なんかのルーチンワークに飽き飽きで、ひとの仕事であろうとおもしろそうなことに貪欲に興味津々だった私は、彼の質問の論点とは全然別の、そのサービスの根本的な仕組みについてふと、小さなアイディアが頭に浮かんで口に出た。

「ところで、全然別のところなんですけど、そもそもこの仕組み、何で●●●にしないんですか?あたしそしたら思わず使っちゃうっ!」と、いろいろな諸事情とか、ややこしい調整に無関係で無責任なハケンの立場ならではの、ジャストアイディアがつるりと口をついて出た。

ところが彼は、ふーんまあそうかもしれないけど、まあそんなことより、訊いたことに答えてくれればいいよとばかりの無関心な態度を装い、
「なるほどねぇ・・・。ところでこれでとりあえず、変じゃないですよね?」と確認して、その場の会話を終えた。

今思っても誰でも思いつきそうなアイディアで大した工夫でもなかったと思うが、でも当時の市場の技術からするとインパクトがある内容で、その後2、3日、私は、そもそもハケンの我々よりもいろいろな情報も持っているのに、なんで私ごときが思いつくような、大して画期的でも新しくもない簡単な工夫が浮かんでこんのか、このガキはと、ちょっと彼を卑下しつつ自分の自尊心を再確認するような虚しい思いがときおり頭に浮かんで、彼の企画がどうなるのか頭の片隅で気になっていた。

数日後、出勤して驚いた。
その日リリースした彼のサービスに職場がちょっと沸いていた。部課長までもが、そのインパクトのある仕組みを試しては面白がり、「○○クン!これ、なかなかいいよ!がんばったじゃん!」と、彼を大賞賛していた。

「はい、いやそうですか。まあちょっと××の調整とか大変でぇ、うるさくて苦労したんですけど・・・」
と平静を装いながらも彼は得意顔だった。

みんなが注目しているのは、先日あたしの口をついたアイディアだった。

ドラマとは違って、もちろんそんなに現実は甘くなく、ただおもろいだけでその仕組みは社内で盛りあっがったきり、いつか忘れ去られ、何のビジネスにもならなかったけど。
あの時は悔しいというか、なんとも苦い気持ちで、職場の仲間のためにいろいろ考えているのに、まるで存在を無視されたかのような疎外感を覚え、そのときを境に、どんなに単純な仕事でも、興味をもっていろいろやってみようという気持ちが一気にしらけだしたことを思い出した。どうせ一生懸命やったって、ひとの手柄・・・。

ドラマだからさ、小泉孝太郎がかっこよく「ぼくは社員とハケンとが一丸となって・・・」なんて公然の場で言ってくれたりするけど。
いまでも誰かに知ってもらっても言ってもしょーもないとも思う、でも私だけがネに持っているちいさなドラマ(笑)

別にすごいねとか認めて欲しかったわけでもないけど、でも、彼があのとき「いやぁ、いろいろヒアリングした意見にヒントを得て。」って正直に言ってくれていたなら、随分違ったと思う。
自分の名前が表に出なくたって、もっと提案したり、どうかなこうかな?って思いを広げたり、もっとその職場の中で何か出来ないかなって、ハリキリ続けられたと思う。

私は前に務めた職場の経験とか、いろいろなひとの体験談とかから、「長い会議が増える」「教育をやたら謳う」、そして「精神論の誇張」がヤバイ職場の3種の神器、いや、3つのバロメータだと思っている、でも。

頑張る、とかやる気、とかは手段であって、中身が無いのにそれをあたかも絶対の成功条件みたいに掲げるのって、建設的でなくて論外だとは思うけど、でもその前に、やっぱり人がはたらいているのだから、思いとか信頼関係ってつくづくまずは基本だと思う。ハケンだろうが正社員だろうが、それぞれの立場とか経験からの思いとかがきっとある。

その後、正社員の立場になって働くようになったのだが、今あらためてそのときのことを忘れちゃいねぇか?と反省しつつ。


そういや、ちょっと似ている事例で、この間産休後、育児制度を利用して勤務している友達と久しぶりに会う機会があって、いろいろおしゃべりした。
その人の会社は、はたからみると子育て中の女性も職場復帰しやすい雰囲気のように思っていたけれども、渦中の本人しか体験しえない、いろんな悔しい事情があることを知った。

話をきいていて思ったのは、いろんな制度は整っていても、結局は物理的に100%パワーを仕事に注げないひとも「許してあげる」という風潮だというのが現実なんだなということ。
時間的に融通がきかないとかそういうことは給与制度とかそういうところで、仕組みとして公平(?)になっているのだから、評価に影響があったり、受け入れとかで疎まれたりする風潮はどうかと思う。

実業家として大成功をおさめるか、なるべく大きな企業で出世する!それでこそ男!っていう単一化された価値基準だけでなくて、育児とか介護とかかかえていても、ハケンという立場でも、もっといろいろな働き方をするスタイルを「許してあげる」んじゃなくて、普通のこと、って受け入れられたらもっとみんなハッピーになれるし、いろんなひとが、いろんな力を発揮して、経済効率もあがるんじゃないかと思う。

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R-おとな

職場に新しいスタッフを迎えました。
今まで、平均年齢30代ぐらいでやってたんですが、なんと、ぐっとお若い20代前半の女性!
ほっぺなんか、シミひとつ無い真っ白で、つやつやで、同性ながら、萌え~なの。(笑)

もしわたしが、金八先生の初代生徒、杉田かおる、最近なら 14歳の母主人公であったなら、彼女はわたしの娘でもおかしくないのです!うへぇ~!

ということに気付き、誰がどっからどう見ても全く世代の違うであろう彼女はまあさてさて、
30代という大きく図々しいくくりでいつも同世代だと思って、失礼かと思いながらも、立場も気にせずおつきあいさせていただいている30代前半のお仲間たちのことを、ふと考えてみました。

記憶も新しい(!)オイラが成人を向かえた20歳のころ、彼らはなんと中学生、まだガキんちょの中坊なわけです!うきゃぁ~!ごめんなさいっ、今までの罪をどうかお許しくださいってくらいギャップをあらためて感じます。

でももちょっと年表を進めてみると、オイラが25歳の青臭い若者のころ、彼らもまた、17、8の青臭い若者です。
なんか急に歳の差が縮まったカンジで、この親近感は、まぁアリかなとか思います。

不思議!なぜだろう・・・

たぶん、お互い期待される成熟度の個人差こそあれ、「おとな同士」って前提がうまれるからかしら、と思ったりします。

近頃、っていうかだいぶ前からずっとですが、自分自身の心持ちとかやりかたも含め、「おとなの事情」ってやつのせせこましさや開き直りやあきらめにがっかりしたり、経験からの賢明な判断が行き過ぎてしまったトラウマからの、屈折した根回しとかの愚弄さに悲嘆したりすることが多くなりました。

私は「おとな」とは、こども特有の万能感を捨てて、良くも悪くも現実的に自己確立をすることであると、思っているのですが、あまりにも私はオレはこうだから!と決めつけすぎて狭量となってしまう幼稚さに直面することもあります。

はたまた、アウトプットや実年齢が自分より若くても、落ち着いていて向上心があって人に対する敬意を払い、でも自分は自分。と、とってもバランスが良くて年下でも尊敬しちゃう成熟したひとにも出会います。
数少ない貴重な出会いですが。

むむむむむ・・・
「おとなになるってこと」なんて、ロックンロールや思春期の青臭い疑問かと思ってましたが、こうして意識しみると、40手前にして十分おとななはずなんですが、あたしにとっては多分一生の課題です。(笑)

と、哲学を繰り広げてみましたが、前に進みながらひとにはわからなくても、自分の中に蓄積されていく何かがあるなら、目尻のシワは増えても眉間には出来るだけシワを寄せず、

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こんなふうに、いつでもニンマリ笑える余裕をもってやっていきたいわぁと思います。
毛が生えるのは困るけど。

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ネコ派ですけど、何か?

つぼった※帰りの電車で、猫を連れている2~3人のグループに遭遇しました。
酔っ払いだらけの車中で、あっちのバッグからミャー、こっちのバッグからミューとかわいいったらありゃしない,。

いっしょにいたつぼメイトとみー氏が「かわいいですね、でもぼくはどちらかというとイヌ派。」というのです。

ネコ派の私が、
「えぇ~、イヌってあの従順すぎる感じがうそっぽいのよねぇ~。
ネコって、寄ってくるから思わず、抱きしめたりお布団の中に入れたりしようとすると、『やめてにゃっー』って嫌がるくせに、うっとおしいなぁと思ってほおっておくと、何気にスリスリしてきたりして。
夜寝るときなんて邪魔だなと思って、よけてもよけても、微妙に足とかどっかが触ってる体勢で寄って来てねたりするのがたまらないのよ。
そこのところがイヌより人間ぽくて、いとおしいくてたまらないのよねぇ。」
となぜネコかを力説。

とみー氏が、ひらめいたっ!とばかりにうれしそうにいいました。

「わかりましたよ!あべこさんがひとりでいる理由がっ!おとこのひともそういうのが好きなんですよねっ!わっははは。」

うるさーい、うるさーい。

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くっくっくっ、言われてやんの。

※つぼる=仕事帰りに駅前の「つぼ八」で一杯やること。

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負け犬号泣でセロトニン大放出

- 今日の遠吠え -

親しい仲にも礼儀あり。

「ホントよ。特に男女とか夫とか距離が近くて親しいほど、どうしても甘えが出ちゃっうからね。」

私の尊敬する、さすが、もうすぐスイート・テン・ダイアモンズだけど夫婦円満な友達の口癖。

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もうひつ月前になるが(早い!)自分でもびっくりな号泣をした。
しかも人前で。(^^ゞ

とにかくこのひと月くらい、いろいろ急に環境が変わったり、数ヶ月間もやもやとかかえていたことが、ついにイッパイイッパイになったりして、自分が自覚していた以上に、どうやら気持ちが張り詰めていたらしい。

(で、ちょっと精神的に落ち着いたので久々に更新しています。と、復活宣言しながらひと月以上も更新しなかったいい訳したくてこの題材を選んでいます。あは。)

私は結構泣き虫なほうですぐメソメソするが、そのときは何だかいつもと違った。

ちょっと酔っ払っていたのもあったし、とても信頼しているひとの前だったので甘えが出てしまったのかもしれない。
別段それほど泣きたいということもなく、ずっと気にかかっているやるせない話をしようとした。
その話題自体とても悲しいことではあったけれど、そのこと自体が取り乱すほど切羽詰った問題だったというよりは、それを引き金にして、いろんなものでパンパンになった風船がついにパツンとはじけてしまったという感覚だった。

自分でも意に反してこみ上げて来る嗚咽に驚きながらも、止まらなくなってしばらく空いた炉辺焼き屋のカウンターで、ヒックヒックオエオエ泣いてしまった。酔っ払っててどのくらいの時間泣いていたのか実はあんまり覚えていないのだけれど、朦朧とした頭で途中からちょっとだけ、すぅっとしてきたというか気持ちよくて「エイッ、何だかよくわからないけど全部泣いちゃえっ」って気分になった気がする。そして、泣いたらすっきり、その後ケラケラものすごく機嫌良くなってしまった・・・ように・・・記憶している・・・。ってこの辺からすっかり酔いがまわっておりまして、あは、おぼろげ。
(^^ゞ (^^ゞ (^^ゞ

そんなおり、本屋の店頭で「週末号泣のススメ 涙でストレス解消!脳をリセット!」(安原 宏美 著)という本を見つけた。
まだ読んでませんが、最近何にいつ号泣したかとか調査統計データとかも載っててなかなか面白そう。

泣くっていうのは笑うのと同じくらい、精神衛生上いいみたいです。科学的にみても涙が流れるときいっしょにストレスの元になる成分が体の外に排出されることがわかっているとか。
不足するとウツの元になることで知られている脳内物質「セロトニン」の分泌もよくなって頭もすっきりするとか。
なるほど!ケラケラと私が急に機嫌良くなったのはこのせいか!(いや、単なる酔っ払いだったせい?あは。)

科学的実証あり、さあ、みんなで泣こうぜ!!

って、自分の失態を正当化してみたが、まったく迷惑な話だ。本当にごめんなさい、お店のおかみさん、そして黙ってその恥ずかしい状況につきあってくれた相棒。

深く詮索するでもなく二言三言優しいことばをかけただけで、相棒がじっと黙って、安っぽい同情や慰めを言うでもなく、説教じみた諭しをエラそうにするでもなく、私が泣き止むまでつきあってくれたことがとても嬉しくてありがたかった。
って、呆れて困ってただけか。(笑)

「親しき仲にも礼儀あり」

場違いのようだが、マナーとかお行儀とかルールのことじゃなくて、冒頭の彼女が言っていたのはこういう意味かもと思った。

相手との距離が近くなって、共感したり意気投合したりする体験を重ねていくと、相手のことがわかったような気になる。きっと自分の考えは当然相手も理解するだろうと、こうなんじゃない、あーなんじゃないといろいろ言って「あげなくちゃ」という態度になったりする。それは優しさのようで、ときに驕りを含んでいる。私が救ってあげなくちゃっ!

おこがましい。反省、反省。

どんなに親しくても、わかりあってるつもりでも、ひとにはそれぞれ「正論」ではどうにもならない自分だけの部分とか、ペースとかいうようなものがあると思う。

きっと私にはわからない悲しいことがあるのだろう。わからないけどきっととても今この人は苦しいのだろう、ひとりでは苦しいから私の前で涙を見せたり、泣き言をもらしたりしている、だから今はすこしの間そばにそっと居ましょう。

ときに、こんな風にありたいと思うのだけれど、これって、相手のことを心の底から当たり前に尊重していないと難しいなとつくづく思う。あたしと同じだろうという「馴れ合い」でもなく、あたしと違うから「排除」でもなくて、私と違う大事な存在と「尊重」する。お互いを尊重するおとなとして対等の距離を保った関係。難しい。

自分は何でもがんばったら理解できると思ったり、自のやり方を教えてあげたら相手が救われるなんて、正論のようで思い上がりだ。ひとはそんな単純じゃない。

「礼儀」を広辞苑で引いたら、「礼」と「義」とあった。敬う気持ちと道理。
相手を自分と違う人間だと敬うことを欠いて、道理ばかりを論っても「礼儀」にはならない。

相変わらず(笑)まわりくどくややこしく展開してみましたが要は、

「そっとしておいてあげる思いやり」

について考えてみました。
冒頭の友達も相棒もあらためて尊敬。

でも、思いっきり相手の迷惑考えず、心のどこかで今は許してお願いと、甘えて感情爆発させた私が何より「礼儀」知らずだね。
ごめんなさい。(汗)

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瞳のかがやき

- 今日の遠吠え -

久しぶりに実家に帰ったら、
「あんた、目に何か入れてるの?ほら流行の色のついたコンタクトとか。」
母も父も口を揃えて、私の顔を覗き込んで言う。

「何か変よ、キラキラしてびー玉みたい・・・」

キターッ!(>з<)
やっぱ、内面のキラキラ感とかイキイキ感とか、わかっちゃうのかしらね、もー親子だなやっぱりっ。
恋でもしてるの?なんて聞かれたら、何て答えましょう、いや~ん。

「何かどっか悪いんじゃない?

あんたも中年なんだから気をつけないと。

内臓疾患は目に出たりするから。」

・・・。

あーいやだ。
老人と中年だけの家族って。

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金賢姫は美しかった。蜂谷真由美と名乗っていた頃、報道で映し出される何かを秘めた意思の強い彼女の頑なな眼差しはすごい迫力だったのを覚えている。
でも数年後、アメリカに移り住み、すっかり洗脳もとかれて著述活動を始めたりして再び公の場に映し出された彼女を見たとき、正直「あれ?こんな普通のひとだったけ?」と思った。
「今、女として・・・」なんてタイトルの本を書いたりしていたが、今よりあの頃のほうがあんた、女としてスゴイ惹きつける何かがあったよと思ってしまった、不謹慎だけど。
着ているものも洗練され、美しくウェーブのかかった黒髪、あの冷淡な表情から一変して不用な緊張感から解かれた優しい微笑み。けれどなぜか、存在は薄々知りながらもベールにつつまれ世界の誰もが実際に目にしたことない美人工作員として始めて公の目にさらされた彼女のほうが確実に美しかったのだ。

もうかれこれ7~8年前の話になるが、私実はうっかりいわゆる「マルチ商法」の世界に足をつっこみそうになったことがあった。合法で後ろに手がまわることもなく、幸い救ってくれる人にも恵まれて、たった3ヶ月のことではあったが、今になって思えば普通じゃ体験できないものすごい貴重な経験であった。

なんといっても印象深かったのは、その集団の人達のキラキラ感だった。

そういう世界には群集心理を利用したマインドコントロールが多かれ少なかれあることは皆さんご存知のことと思うが、大音響の音楽とか、カリスマンの巧みな話術とか、そんな小手先のテクニックじゃなくて、「わたしもこの仲間になったら幸せになれるかも」と信じ込ませたもののひとつに、そこにいるひとたちがなぜか「美しい」というのがあった。
目の輝きがちがうのだ、立ち居振る舞いの姿勢が何と凛々としていることか!

北朝鮮のマスゲームの美しさ。喜び組みの笑顔・・・。
多分彼らは「こういう風に笑え」といわれてそうしているのではなく、本当に将軍様に仕えることにこころの底から喜びと誇りを感じ、一点のくもりも疑いもなく踊っているから怖いくらい美しいんだと思う。
ほかに選ぶ道を許されず、そうしているとしても。

さて、自分で選択して迷わない。
生き方が多様化して選択肢が多い今日この頃。
「負け犬」なんてささやかれても、凛々と美しくこれがわたしの生きる道!と輝いていたいものです。

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ダメな女

- 今日の遠吠え -

ダメな女はよく嘘をつく。

他人にもつくが、自分自身にも嘘をつく。

村上 龍 著「ダメな女」(光文社文庫)より

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ぽーちゃんがDVについて書いている。

暴力を認める理由なんて何も無い。私もそのとおりだと思う。強者が弱者に、例えば男が女に、ぽーちゃんが言っている脅しや束縛も含めて暴力を振るうとき、一方的な態度や圧力で相手を思うままに征服しようとする心理がそこには隔されている。俺がいいと思えば一方的に俺の理屈を通していい相手だという卑下と驕りが潜んでいる。
自分以外の人間をエゴのためにそんな風に縛ることを認めていいわけがない。

でも、やたらと暴力をふるわれることが多い場合は、やっぱり暴力をふるわれる側にも理由があると考えたほうがいい。

それは多分「自分に嘘をつく習性」。
と、ひと口に言ってもなかなか難しい。だいたい「自分の本当」って何よ?とわからなくなってばかりだ。
誰だって弱い。寂しさに耐えるのは辛い。失いたくないものだってたくさんある。
そうして、うっかり自分の素直な感じ方で堂々と立っていることの大切さや、その深いすがすがしさを忘れてしまう。
強くあるためにはエネルギーがいる。ときには自分をごまかしてしまったり、周りに合わせてかっこつけちゃったほうがつかの間は楽だったりする。
そうしているうちに、だんだん自分に嘘をついていることすらわからなくなる。

皮肉なことに、相手を征服したがる輩はそういう嘘つきが大好きだ。
嘘つきには、おまえへの愛が故になんて言いながら暴力を正当化する嘘つきがよって来る。

ダメな女はダメな男にしか出会えない。
いい女しかいい男には出会えない。

世の中どうやらそういう風に出来てるらしい。
スピリッツカーストみたいだ。
是非皆さんも下克上をめざしてください。

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しあわせ36歳

- 今日の遠吠え -

いい結果も悪い結果も、全てのことは自分の選択の結果でしょ。そう考えると全てが受け入れやすくなるでしょ。次はこうしよう、って素直に思える。

とある素敵な女性がまるで彼女にとっては当たり前のことのように言った。

それからね、真面目な気持ちかどうかは絶対に伝わるの。言葉のセンスや個性の表現の問題じゃなくて、絶対伝わる。適当にはぐらかせば、相手も適当に返してくるよ。そしてそういう気持ちを感じ取れないひとは、それだけのひとってこと。そんなひとは付き合う価値がないからそれでいいじゃない。ひとの気持ちがわかるひとと付き合わなくちゃ。

とも厳しく。

別の素敵な女性からは「あなたはさ、ここ一番ってときにカッコつけるのよ。ドジでダメダメで(非道い^^;)でも一生懸命でさ、そのままが愛されるキャラだからこそ、こうしてあたしも皆もいっしょに居るのにさ、何かカッコつけるからダメなのよ。カッコつけんなよ!」と。

そうかもしれない・・・。自信がなかったり、どういう結果になるのか怖くて、大事なときほどオチャラけたり、はぐらかしていたかもしれない。自分を知って欲しいときほどカッコつけて反ってひとが立ち入りにくい雰囲気をつくっていたかもしれない。

いつものヘソ曲がりをぐっと堪えて、素直に言われたとおりにやってみたら、ちょっとだけいいことがあった。>^-^<

何よりも、すごいお誕生日プレゼントだ!みんなどうもありがとう。

この歳で今さらどうかと思いますが、36歳この1年のテーマは

素直です。

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先週13日の金曜日は36歳のお誕生日でした。
そして、そして、本当に素敵で幸せなお誕生日でした。
プレゼントもたくさんいただきました。みなさんどうもどうもありがとう。

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大切なお友達が素敵なお誕生日会を素敵なゲストつきで開いてくれました、
加えてかわいい薔薇のアレンジメントをプレゼントまで!

ゲストの素敵な殿方から頂いた、セイロンティーとシナモンとクローブのチャイセット。

私の好みを知り尽くしてくれている親友からの、お洒落なお洋服のプレゼント。

久しぶりに会ったお友達の、センスが光る彼女作イヤリング。

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大切なお仕事のパートナーさちからは彼女らしいセレクトのお茶器セットを。

職場でこころを癒してくれる優しいゆっちゃんからはケーキフォークとティースプーンをいただきました。

はじめて半年のひとり暮らし「欲しい、欲しい」を覚えていてくれたことが何より嬉しかった!

こうして、皆の顔を思い浮かべながらプレゼントを並べてみて、本当に私は素敵なお友だちに恵まれてしあわせ者だと思う。わたしはいつもドンくさくて気が効かなくて、上手くみんなにお返しができているかわからないけど、こうして思ってくれる。本当に大感謝です。
ちゃんとみんなに恩返しできるように、毎日しっかりやっていかなければいけません。

きっと、誕生日ってそんな風に感じるためにあるのかもしれない。

あくる日、松阪牛の里、三重の松阪に住んでいる姉からも荷物が届いた。

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キターッ!松阪牛だぁああああ!この重さ!ご当地高級牛肉店の袋に輝く「松阪牛」のシールと生ものゆうパックのステッカー。
さあ、みんな呼んで焼肉パーティーだぁ!と喜び勇んで袋をあける。

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負け犬愛を注ぎまくる

- 今日の遠吠え -

愛はある。愛を注ぐ場所がないだけ。

何かの映画かTVで聞いたセリフより。

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って、ことで現在この子に愛を注ぎまくっています。
自分でもびっくりするぐらいにたっぷり愛を注いでいます。
あんなに大嫌いだったコオロギを、生きたままバリバリ音を立てながらほおばる姿さえ、本当に愛しい。

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金をやるから産んでくれ

経済同友会が20代夫婦に出産費用40万円支給を提言

ほんとっ、バカじゃないかと思う。
出産や子育てにはお金がかかる。くれるっていうのはありがたいことだけどそれで少子化に歯止めがかかるとか、真面目に信じてるんですかね。

もちろん本当に経済的な理由で子供を持つことに躊躇しているご夫婦もたくさんいることでしょう。
どういう、統計調査をされた結果そういう施策にたどりついたのか存じ上げませんが、今晩婚化したり子供をもたない夫婦が急激に増加している本当のところの理由っていうのは、とても経済的事情とは思えないんですけどね。
ライフスタイルの多様化や女性の経済活動が特別なことでなくなったことからくることの結果じゃないの。

私の友人達はこどもを産んだはいいが、職場に復帰するのに保育所が不足していて苦労していた。どこもいっぱいの順番待ち。優先的に預かってもらうには働いていることが条件だ。いくら企業に籍をおいていても「休職中」では「働いていること」にはならない。これではいつになっても職場復帰ができないというひどい矛盾。職場に頭を下げて、書類上職場復帰しているような取り計らいをしてもらい、やっとのことで子どもを預けたほどだ。これじゃあ、ふたりも預けるのは容易なことじゃない・・・ともらしていた。

そういう、女性が安心してこどもを育てながら今までの社会活動やライフスタイルを維持できる社会制度やサービスの整備拡充にまずは投資をされてはいかがでしょうか。

大体さ、20代夫婦だけに支給って何だよ。医学も発達していわゆる高齢出産もあまり問題なく可能になって、寿命も延びてひとの一生が長くなってるっていうのに、何?なんで20代のうちにこども産まなきゃならないわけ?
たった40万もらうために、「やー早くこども産んどこっ!」なんて、人生設計修正しようなんてとても思わないと思う。だったら20代のうちにしっかり働いてお金貯めて、出産後に職場復帰しても経済的にも困らないようなある程度のキャリアも作って、それから落ち着いて出産や子育てを始めたほうがよっぽどいい。

若年層の少子化晩婚化に歯止めをかける、なんて小難しそうな理由をかかげてるけど、要は「20代で結婚するのが普通。こどもを産むのが普通。それが崩れてきてることが『おかしい』」っていう、古い観念にとらわれてる浅知恵としか思えない。

バカにしてんのか!
おんなは子産みマシーンじゃない。

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おとな合コン

- 今日の遠吠え -

合コンなるものについて、負け犬曰く、

吾れ、二十にして撃った弾の数、散弾銃の如し、

二十有五にしてその空虚を悟り白々と意気消沈し、

三十にしてその数の減りしことを憂い、

三十五にして誘われることのありがたきを知る、

光陰矢のごとし 女磨かざるべし

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私は知らない人の中に入っていくことにあまり躊躇しないというか、どちらかというと好きなほうなのでそこそこいわゆる合コンなるものには誘われれば、楽しみにしてイソイソと出かけていく。

しかし、1度もその会の本来の趣旨目的なるものををまっとうしたことがない。(笑)
そういう会に行くと、こっちも向こうから見たらそうなのかもしれないけど、だいたい参加している人が構えているのだ。

みんなが俺があたしが、どう見られるかどうか、あるいはどの相手へ攻め込むべきか、に全エネルギーを注力し、なんともギラギラとした空気がただよっている。

実は人間の印象は最初に会った数分間のファーストインプレッションで8割方が決まってしまう、という説があるが、私もその説に同感だ。
振り返ってみて今まで、男女に関わらず、第一印象に何かアンビバレントなものを感じたひとと関わって、ろくなことになったためしがないない。逆に、ビビッと何か正のインスピレーションを感じた相手とは、どんな形であれ後々よい影響を受けているように思う。
そんなわけで、私は理屈ぬきにしてその人から発せられてる空気のようなものを大切にしているが、相手も自分も必要以上に緊張して構えていると、実にそういうものが感じ取りにくいのだ。

そんなようなことに気がついて、「どいつもこいつも、ルック、ルック、アット、ミー、で、せっかく良い出会いを探しに出かけて行ったのに、何かつまんないな。」と思った時期があった。

でも、最近そいうい場に誘われる回数はめっきり減ったが、けっこう面白いかもと思うようになった。
三十代以上の集まりになると、まあ、たまには切羽詰っちゃって真剣そのもの「今日に人生かけてる?」てカンジで焦っちゃてる方も居らっしゃるが、逆に余裕と自信にあふれたおとなの集いがほとんどだ。場の話題も、みんなそれなりに人生経験があるから、昔のやんちゃ時代の話が飛び出したり、仕事や職場の話、社会情勢についての話、などなど、豊富で楽しい。趣味の話とかしても、もうこの年代になると二十代のガキみたいに「モテるから」とか「かっこいいから」という理由じゃなくて、ほんとうに好きなことをやっていたりするし、相当年季がはいっていたりするから聞くほうも面白い。

そんなわけで、結婚だっておとなになってからのほうが実はほんとの意味でのチャンスといえる、というお話が「35歳からの玉の輿道」(和田秀樹 著)に述べられています。
この本、実はネタ(何の?笑)半分で読んでみたのだが、題名から連想するのとはまったく別の次元で大変おもしろかったですよ。

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ロマンチックのつもりが

- 今日の遠吠え -

思いがけず二人きりになったのが嬉しくて、はしゃいで思わず腕を絡めたら、

「やめてよ。」

「まあ、おんなも30過ぎるとエロくなるからな。」

と言われて涙がこぼれた。

今思えば、

そんな想像力しかないあんたのほうが、エロ野郎ですからぁあああ~、だめんず斬り!!

と腕の一本もへし折っておくべきであった。

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ぽーちゃんが先日書いていた「セクシー中国マッサージ」は私も大変お気に入りですが、声を大にしてしつこく言っておきますが、けっしてピンサロマッサージではありません。(笑)
極々健康的かつ確かな技術を持った、小洒落た中国式ソフト整体院です。

何がなんとなく色っぽいかというと、カーテン一枚で仕切られた狭い個室の中で、薄手の綿か麻の真っ白なチャイナ服姿の中国青年が、微笑を浮かべながらぽそぽそと「いらしゃいませ」「痛くなかたですか?」と、ちっちゃい「つ」抜けで言葉少なく静かにささやくのだ。
まあ、リラックスしに行く場所だから小さい声でしゃべるんだと思うけど。(笑)

マッサージの前に膝まづいて足を丁寧に洗ってもらうときなんて、最初ちょっとドキドキしてしまった。
いや、水虫感染予防のためだと思うんですけどね。(笑)

無口な男性が好きという女性諸氏は多いが、なるほどそういうことだ。
もの静かというのは実にセクシーなのだ。
日本語があまりできないという理由であっても。(笑)

そして、あらためて気に留めてみてはじめてぽーちゃんが気付いたように、意識しないとそれと気付かないような微量のセクシーさっていうのは、実にリラックスさせるのだ。
う~ん、やっぱそういう意味で品のいい色気って大事だよね、おんなもおとこも。相手をいい気分にさせるんだよ、きっと。

・・・あたしにはほど遠い道だな(笑)

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で、いっつもリラックスして半分うとうとしてしまい、うっかりこの枕の穴から寝よだれを垂らしそうになって、はっとして目が覚める。
「やばっ(じゅるっ)、セーフ、セーフ」と穴から床をよくみたら、乾いたシミがいくつかついていた。
なんだ、みんなやってんじゃん(笑)

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ぬりえな恋

- 今日の遠吠え -

数年前、思いもかけず今まで体験したことのないような、ひと目ぼれのような恋をした。三十にして初めてこんな思いをするとは思わなかった。

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ときどき顔をあわせ話をする機会があると、テーブルの下でぐっとこぶしを握り締めていないと手が震えてしまって、このしゃべくりの私が話せなくなるのだ。
毎日毎日、そのひとのことで頭がいっぱい。あまりしつこくその人の話ばかりを繰り返すので、しつこい、うるさい、つまんない、と友だちも危うく失いそうになるほどだった。

「あたしさ、あの時の彼への思いこそが今でも本当の恋だったと思うんだよね・・・」

と、おめめに星を浮かべてそのときの思い出を友だちに語って聞かせたら、

「それはさ、手にはいらなかったからそう思うんだよ、」

「ヤッてないから。」

と言われた。
教訓、

手に入らなかった昔のおとこは美化される

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「将来の夢」 2年3組 阿部秀子

- 今日の遠吠え -

こどもの頃は、漠然と
24歳で

お嫁さんになるんだと決めていた。

二十歳になったとき、3年後なんかすぐでぜんぜん考えられない、と思ってまあ、
27歳で
結婚するかなと、何の根拠もなく想像した。

そして30代の半ばも過ぎようとしている今、
期限を切るのはやめようと思っている。

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連休中、部屋にいる時間はずっとFMを聴いていたのですが、最近フリーターや、『NEET』と呼ばれる、就業、就学、職業訓練のいずれもしていない若者が増えているということで、「さあ、みんなも夢に向かって頑張ろうぜ!」みたいなノリで、夢を追いかける若者のインタビューや、活躍を伝える番組が目白押しだった。

登場するのはタブセに続けとNBAに夢をかけ十代にして単身渡米した青年とか、旧態依然とした古い業界に新しいビジネスモデルを引っさげ乗り込む学生企業家とか、そういうストーリーばかりがクローズアップされている。

何かずれてるんじゃなぁ~い?・・・

そういうの聴いて、「よしっ!オレもっ!」って単純にダラダラとした毎日から、一念発起して血のにじむような努力で夢を目指す、今どきの若いのがどれほどいるのかなぁ。
大体こういうことに刺激されて、一念発起できる子なんてとっくに、きっと短絡的でも失敗しても、どんどんトライしていく子だからほおっておいても大丈夫。

今のモラトリアムな彼らはきっと、豊かになりすぎた世の中で退屈で刺激がなくて、何を目指したらいいかわからなくて、ウダウダしているんじゃないかしら。
そんな風に夢をもって飛び出していける人たちがいることは知っている、でもオレッて特に踏ん張りたいほどやりたいことあるわけじゃないし、いろいろやってみてはいるけど、最初に夢見ていたたほど特にエキサイティングだったりカッコイイわけじゃなかったし、まあ毎日そこそこ楽しく困るわけでもないし。
きっとそんなところだ。

そんな彼らに、現実から突出したアメリカンドリームみたいな話をしたって、余計シラケるって。
いいよなぁ~才能あるやつらは。って。
貧しかった時代はきっと、貧乏で嫌って言うほどお尻に火がついている人が多かったから、畜生オレもきっと成功してやるっ、ってハングリー精神に着火しやすかったかもしれないけどね。

モラトリアムな若者が増えてる現象って、こう考えるとけっこうメディアにもちょっとだけ責任あるかもしれないよ。

私の周りには普通のサラリーマンでも、小さな会社の経営者でも、派遣OLでも、主婦の内職でも、毎日の生活で自分のスタイルを大切にして、小さな目標に向かって一生懸命でイキイキしている人がたくさんいる。
小さな不満や能力の限界を努力と工夫で乗り越え成長を実感してる人、達成感に満足しているひとがたくさんいる。

本当に今のモラトリアムな若者に手を差し伸べるなら、そういう等身大のイキイキさんをたくさん紹介すればいいのにと思った。つまらなそうに見えるけど、けして華やかではないけど、でもやってみると、やり方次第では楽しいのよ、って。案外、地に足が着いた充実感があるのよ。って。

おとなになるっていうのは、いい意味で身の丈を知って、自己確立をしていくってことだもの。と、

老婆心ながらそんなことを考えた成人の日でした。

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TVドラマ「負け犬の遠吠え」観たよ

- 今日の遠吠え -

今年もたくさんのお年賀状ありがとうございました。

さて、川崎市Sさんのお葉書を紹介します。

「年齢など気にせず、今年もがんばってね。男性は山ほどいる!」

大田区のAさん33歳からのお便り。

「今年こそhidebooに奇跡がおこることを祈っています。」

こちらはインターネットでいただきました、八王子市Nさんからのメッセージ

「年賀状もらってびっくり!引っ越したって、もしかして男と同居?」

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おととい使命感に追われるように(笑)TVでドラマ「負け犬の遠吠え」を観た。

その中で「結婚しているから幸せなんだろうとか、結婚してないから不幸なんだと決め付けられるのはどちらもよけいなお世話なのだ。まったく迷惑な話だ。」というくだりがあった。
おおお、いい事いうじゃないのっ!まさにそのとおりなのだ。

このブログを書いていたり、ネタで私が行き遅れポーズをとったりするのをよく「hidebooは『結婚していないこと』を気にしている」ととられていたり、「かわいそう」とか「みっともない」とか思っているひとがいるんだろうなと感じることがある。(面と向かって言われたこともある。)でも、私が気にしているのは「結婚できないこと」ではないんですよね。気にしているとすれば、30を過ぎて結婚していないということで「あるべきものが欠如している女性」とか「不幸なひと」あるいは「特別扱いをしなくてはならないひと」と周囲に勝手に扱われることが多くなったということなんですね。

そして、大抵そういう扱いをするひとは、既婚未婚男女に関係なく、結婚=幸せだと妄信しているひと。あるいは自分の欠如感は結婚することで解決されると信じているひと、あるいは、結婚していることが自分の優越感だったりするひと(この手のひとは、往々にして自分の配偶者のステイタスを自分のことのように自慢したりする)だ。

ドラマの中で、勝ち犬役の鈴木杏樹と負け犬役のマチャミが「結婚してるってそんなにエライの?」「外で働いてるってそんなにエライの?」とお互いの劣等感をつつきあってケンカするシーンがあった。「税金払ってないくせに(=一人前じゃないくせに)」「貴方みたいにならくてよかったって(=色気はないし、ひとりで寂しいくせに)」と相手の欠点をお互いあげつらって「それにくらべてわたしはこんなにタイヘン!」とチンケな優越感をそれぞれが確認しようとするのだ。

そのケンカのきっかけは、「いいわねぇ~素敵なひとと結婚して」「いえいえ貴方こそ仕事バリバリうらやましいわぁ」という相手の実はこころの中にある一抹の虚無感や不安を無視した空々しい褒めあいがきっかけなのだが・・・

身に覚えありだ。「hidebooはいいよねぇ~、仕事も楽しく、自由にこれから恋もいっぱいできて」なんて言われるとき、「そうなのよぉ。ほんと幸せ!」って素直に答えられない、理由はわからないけれど妙な居心地の悪い空気を感じたりしていたのだが、なるほどポンッ。その言葉の裏にある「私はhidebooみたいな自由は少なくなったけど、でも旦那様が居るの、結婚してる幸せな女なの。」っていうメッセージを感じていたのだ。

私はドラマみたいにあからさまなケンカはさすがにしたことないけど(笑)どう考えても幸せだと思っていた女の子に、やっぱり妙に意識されつっかかられたことがあった。なんで?と思いつつ、彼女自身も多分自覚していないと思われる彼女の真意に薄々感じつつ、でもやっぱりその時、正直ちょっとムカムカ反応している自分もいた。

みんなちょっとずつ不安なんだ。私が選んでいる生き方ってほんとにいいの?って
となりの芝生の蒼さがお互いときどき気になったりしてる。
おんなってほんと欲張りねぇ~。

次の日は、またまたTVでおしゃれカンケイ未婚美女特集とかやってて、高木美保がぎゃぁぎゃぁとさんざん強いおんなキャラを炸裂した後で、「でも、男の人に優しくされたいのぉ~(オイオイ)」というオチをつけているの観て、泣けた。
これもまた、欲張りよねぇ~。

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新しい手帳

- 今日の遠吠え -

手帳の新しい月のページをめくったら、年のはじめにちょっとその気になった彼とか、おさらばしちゃった彼の誕生日が、しっかりハートマーク付きで書いてあったりすると、こっ恥ずかしくて、苦々しくせつないよな。

でももっと切実にせつないのは、

大枚はたいた勝負プレゼントのローンを別れた後に払うとき

と、男の子の友だちが言っていた。

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あっという間、本屋さんにいったら店頭の一等地に手帳が山積みの季節。
今年は早めに来年の手帳を購入しました。

今年から、能率ダイアリーの「キャレル」バーチカルタイプを愛用しています。コンパクトなA6版を使っていましたが、私は字がデカイのと、あちこちいろいろメモしちゃいがちなところを、この手帳1冊になるべく集約したいなと思い、2005年はひとまわり大きなB6版を選びました。

PDAとかシステム手帳とかもちょっと試してみましたが、やっぱり年毎の紙の手帳が私にはしっくりくるなという結論にいたりました。
・・・っていうほど、実は使いこなしていないんですけどね、あんまり計画性のない性分なもので。(^^;

20041105carell.jpg

実は同じタイプの手帳を続けて意図的に選ぶのは初めて。
この縦長の時系列、感覚的に使いやすいです。月単位でインデックスがカットされているのも、ブックエンドリボンを使用する、当週ページとは別に、月間スケジュールページが、パッと一発で開けて便利です。
この商品は日経ウーマン共同企画らしいのですが、六曜はもちろんのこと、年間通しての週数や残日数、巻末の簡易リファレンスなど必要な情報が充実しているのに、オッサンくさくなくて女性向けにシンプルでなかなか洗練されたデザインです。

20041105techou.jpg表紙もサテン地に光沢のある合皮の同色コンビにステッチがアクセントになっていて、シックな感じです。

新しい手帳を買うのは1年に1度のことですが、とてもワクワクして楽しみのひとつ。
何も書いてない真っ白な手帳を何度もパラパラとめくってどんな1年にしようかあれこれ思いをめぐらせるのは、意外に至福の時です。

ちきしょー、来年は書いてみたいなー・・・「ご両親にごあいさつ」とか「結納」とか「式場選び」とか。いや、その前にデートの予定で埋め尽くさなくちゃだわ。

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無意識の差別

-今日の遠吠え-

30歳を超えて、20代の自分が予想していた以上に周囲から「負け犬」扱いをうけることに戸惑い、今以上に深刻に傷ついていて、まだ笑いとばす余裕が無かった頃。
仲間の中では学校を出て一番早く結婚をした女友達とひさしぶりに会った。

最近どうよ、歳とったよね気がついたらお互いもう30だね、っていう話から調子にのって、きっと「人並み」「片付いてる」彼女にはわからないだろうなぐらいの気持ち半分で、親戚や心無い年寄りどもから「行かず後家」扱いをされ、はたまた職場のあたまの悪い男どもからは「未婚の三十路おんな」という偏見で、若い女性と比較され、陰で「あのひと結構な歳でしょ」なんてささやかれ・・・。

あなたには、わからないかもしれないけど、というモードで話していたら、彼女が泣き出したのでビックリしてしまった。

彼女はその当時、結婚してから既に7~8年経っていたが子供はいなかった。デリケート且つ極プライベートな問題なので、その理由はわたしは知らない。けれど、きっといろいろな思いや事情の積み重ねでの、彼女たち夫婦の選択の結果が単に子供がいないということだったに過ぎないと思う。

「わかるよ、その気持ち。わたしも同じ切なさを結婚してからずっと味わってるよ。」
と彼女は泣きながら話した。
挨拶みたいに、既婚とわかると「お子さんはいらっしゃらないんですか?」と聞かれる。こころない人は「結婚して長いのにどうしてですか?」と無神経な干渉をしてくる。
夫の実家に行けば、こどものいるほかの兄弟夫婦と比較され、「子供を産んでいないあなたは長男の嫁失格、あんたたち夫婦は半人前」と言わんばかりの苦言をはかれる。

お互い自分の選択を自分でできるおとなになったはずなのに、どうして一人前って認めて貰えないんだろうねと、「オレッてもうオジサンだしぃ~」とか後ろで、受け狙いの若者がギャーギャー騒ぐ声が響く居酒屋で、おんなふたり涙した。
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今日はちょっとまじめモードっす。

ずいぶん前のことだけど、TVでアメリカのハイスクールで人種差別を無くすための教育活動をしている、アメリカ人女性教師のドキュメンタリーをやっていた。

日本人として日本の社会で生活しているとわからなかったが、人種差別ってこんなに実は未だに根が深いんだとあらためて驚いてしまった。

先生が教室で生徒たちにまず質問を投げかける「あなたは自分が人種差別をしていると思うことはありますか?」ほとんどの生徒が「NO」と答える。
では、自分が人種差別なんてしていないと思う理由を聞かせてください。とアングロサクソンの生徒をひとりずつ指していく。

「だって、僕には黒人の友だちもいます。」
「わたしは、いつも黒人の友達を認めています。『お前はマイノリティだけどいいやつだよな』と。」
などなど・・・。

「なるほど、ではこれから授業をはじめます。」と先生はわざと、白人の子だけ床に座らせてマイノリティの生徒だけを差別的に優遇したり、白人の子だけ厳しくしかったりと「白人差別」のパフォーマンスをしながら授業をしていきます。すると「なんで、わたしは白人なのに、マイノリティのあいつらが優遇されるんだ!」と癇癪を起こす生徒が出てくる。そして先生はそこで問いかけるのです。「あなたに今こみ上げてくる屈辱感はどこからくるかわかりますか。」と。
そうして、何人かのかしこい生徒は「自分は白人なのでマイノリティの彼らより優遇されるべき」という意識が自分の根底にあることに気づいていく、というすばらしい授業でした。

この授業を見ていて「人種差別」って見た目からきているからすごくわかりやすいけど、日本の社会に生活していても、差別だらけだよな、と思った。
そして「結婚していない三十路おんな」「こどもを産んでいない女性」ということで、人並みじゃないという差別を自分も日常的にうけているんだな、と気がついた。

先の授業で、もうひとつ興味深かったのは、最初に先生は黒人の子にも質問をします。
「では、あなたは今白人の子が答えたように『お前はマイノリティだけど・・・』という言われ方をして、不快に感じたことはありますか?」ほぼ全員が「Yes」と答えていた。
けれど、そんな屈辱を日常的にうけながら、彼らはまるで、でも生まれたときからずっとそうだしなぜ今さら?と言わんばかりにキョトンとした表情をしていたことでした。

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訂正:地震の夜の「思い出」(笑)

大変です、ねえさん!きのうの記事が波紋をよんでいます。(笑)
「hidebooさんは、おとといラブレターを書いちゃったの?、大丈夫かな?」という話になっている、らしい。(^^;
すみません、あの話の一行目に「うんと昔の地震の晩の出来事、」と書くのを忘れちゃいました(笑)
そんな、もう、今進行中の恋のはなしなんて、みんなにはナイショに決まってるじゃないですかっ(^_^)

と、見栄もついでにはってみる(T_T)

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地震の夜に

-今日の遠吠え-

ちょっと気なる彼のことを考えながら「好きって言ってみようかなー」ってお布団の中で携帯でラブレターを書いた夜。
でも「なんちゃって、うふっ」とそのまま送信しないで、パタンと携帯を閉じてうとうとしてたら、小さい地震があった。
うわ、今何時だよ・・・と思って、枕もとにホッぽらかしていた携帯のバックライトをつけて時間を見ようと思ったら、うっかり送信ボタンを押してしまった。
その、自分の気持ちに自信のない(シャレじゃない)ラブレターメールが意に反して飛んでいってしまった。
そのことがきっかけで、その後、そのひとと妙にアンビバレンスな関係となってしまい、長いこと苦しむことになった。きっと彼もそれなりにいろいろ傷ついたことでしょう。

言わない後悔より、言った後悔。

教訓。
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今夜は、私をいつも支えてくれるお友達と「地震すごかったねー」という話からはじまって、ずいぶん長いこと夜更けまでおしゃべりした。他愛のないおしゃべりの中で、背伸びをしたりつっぱてたりして、なかなか心の底から認められなかった、自意識や今心にかかえているわだかまりの原因にふと気がついて、それを今夜はなぜか受け入れることができた。
「そうだね。」って素直に受け入れたら、ポロポロと泣けてきた。
そして、ここからもう一度はじめよう。という気持ちになった。
まずは、朝は早く起きよう。煙草はやめよう。毎日ちゃんと綺麗にしていよう。
・・・自信ないけど(^^;(シャレじゃない)

台風のわくわくもそうだけど、地震にも何かがあるのだ。
大きな災害や戦争のときは統計をとると出生率が上がる傾向があるそうだ。
生物として生命の危機を感じると、遺伝子が後生に自分の遺伝子を残すように働くという説だ。

私の場合もそうなのかしら?もっとしぶとく生きようという力を遺伝子が出したのかしら。
まだ、後生に遺伝子を残してないから。(笑)

地震の夜には何かがおきる。

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カオタイの夜、そしてturningpoint

20040904kaotai.jpg金曜日の晩に高田の馬場のタイ料理店「カオタイ」へ久しぶりに行った。ここは本場風というよりはどちらかというと、素材も味付けも日本人向けにアレンジされている食べやすい。
・・・のせいか馬場という立地のわりには店内はうちの会社の某部長好みの(笑)華奢なミディアムヒールに膝丈スカート、カーディガンの小さなボタンを2つくらいだけ留めてて、流し気味の前髪あり、というそつの無いカンジのOLがいっぱいだった。こういう女性が最近同じ顔に見えて見分けがつかないのは、「TOKIO」まではわかるけど、嵐以下をシャッフルされても多分わからないのと同じ理由だ。
と、話がそれたけど、そんなことを考えながらメニューを覗くとどうもシェフが変わってしまった模様・・・(不安)。でも、定番で注文するパイナップルチャーハンは変わらぬおいしさでございました。食い散らかした後で、おっと忘れたと、写真におさめてみました。見苦しくてすみません。

20040904turningpoint.jpgあー、今夜は気分がいい。思い切って仕事もほかの用事もキャンセルして楽しい食卓にありつけて、ふむふむ。と満腹感を満喫しつつ、新宿駅で電車をまっていたら、目の前に、私の人生にとても影響を与えている人の思想をはぐくんだ学園と、私が受験に失敗した学校(多分はじめての大きな人生失敗体験だった)と、結果選んだ、私が卒業した学園の広告が並んでいた。あはは、おもしろい。うーん私が彼女に習ってその学校にチャレンジしていたら・・・、もし受験であの問題が解けて第一志望の学校に行っていたら・・・、あの学校であのひとに出会わなければ・・・、私はどんな風に今を過ごしていたのかしら。などとやや酔っ払ったあたまでぼんやり空想にふけった。今夜楽しくごはんを食べなかったら・・・、あの時違う振る舞いをしていたら・・・。どれも、これも、小さな選択だけど、そんな風に想像してみると、毎日Turningpointの積み重ねで成り立ってるのね。う~む、楽しい!と酔っ払うと非常にポジティブというか、躁状態になってしまう危険な私。
さて、こんな風に日常を空想で楽しんでみたい方には、この映画おすすめです。

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世界の中心でザマアミロを叫ぶ

-今日の遠吠え-

勝ち犬友達の社宅奥様仲間の方を紹介された。
いかにもVERYとかの読者モデルで登場しそうな、お嬢様→若い新妻(直行)、って感じの血統書付き勝ち犬の彼女。


負け犬「あたしさ、独り暮らししてみようかなとか考えてて・・・」
血統書付き勝ち犬「そんなぁ!ダメですよ、そんなのっ!」
負け犬「え、何で?」
血統書付き勝ち犬「そんなことしたら、あきらめたと思われちゃいますよっ!!

・・・・・・何をだよ、誰にだよ。
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カミングアウト。
私は35歳のぶりババです。ぶりっ子ババア。

いや、ぶりっ子っていったって、「いやぁん、ひでぶーわかんなぁ~い」とか「え~ん、ワタシッてとってもかわいそうなのぉ、誰か守ってぇ~ん」(泣きおとし付き)とかそういう、カマトトということでわなくてですね、
そんなことが出来るくらいなら、負け犬にはならないわけです。

いいこぶりっ子。

小さいときから、知らず知らずのうちに「道徳の時間」とか世の中から教えこまされるわけです。

みんなと仲良くしなないこはわるいこですよ
だれにでも親切にね
ひとを恨んではいけないよ
いつも反省のこころをもたなくちゃ
ありがとうやごめんなさいと言えない子はわるいこです
ひとの幸せはいっしょによろこんであげましょう
人類みな兄弟仲良くしよう!一日一善 by 日本船舶協会

そして、わるいこにしてると罰があたるよ!

特に、35歳の負け犬として切実に怖いなって思う罰は、

いつもニコニコしてないとブスになっちゃうよ。
そんなかわいくないこと言うとお嫁にいけないよ。

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づらあそび

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「そのひとって、いわゆるヤンエグってやつよね、ハイソ気取っちゃってて・・・」
うけをねらったわけではなく自然に口をついて出てしまった。
「ヤンエグ?ハイソ?」とヤングな同僚に聞き返され、いつの間にか自分が、いわばもう「いわゆる」じゃないおとな語を話すようになっていることに気がつきました。
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深夜の残業タイム、力が抜けてみんなだんだんおかしくなってくる時間帯のひとコマ。ちょっと、下世話なハゲとづらについての雑談に脱線。

「あのひとは、実はすごく自然でわかりにくいづらだったりして。」
「名づけてナチュラル・づら。」
「あ、いまのひびきナチュラル・ブラみたいだ。」
「それならまだまだ・・・」
ここちいい・づら
天使のづら
「じゃああのひとはヌー・づらだ。」
「・・・・よせて分ける。」(爆笑)

ちょっと待て。実はづらブラって似ているのは音だけじゃない。
誰もがコンプレックスをもっていて、ボリュームを追求し続けている。
そして、少ないものを一生懸命本来あって欲しいべきところに寄せたり集めたりして、むなしいプチごまかしをしてみたりする。
ちょっとした発見をして気休めの満足感になぐさめられながら、今日のお勤めを終え、終電に駆け込むのでした。

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まじめにやります。

まじめにやります。決めました。

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負け犬 VS 勝ち犬

別々の友達から、同時に2冊の本が「あなたにぜひ!」と回ってきた。
いったい、私は周囲からどういう風に見えているのだろう(笑)
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「強運に・・・」の著者のFOXEYオーナーである前田義子さんは、究極の「勝ち犬」だ。
「負け犬の遠吠え」はその名のとおり、「負け犬」生態について。
おもしろいから、2冊同時に平行して読んでみた。

どちらもなぜか読み終わったらすがすがしい。
要は、「あんた、堂々と生きなはれ!」と書いてあったように思う。
そうするわ。

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ひと足はやく

冬至には1週間早いけど、柚子湯につかってあーさっぱり。
うちの家庭菜園の片隅に生えてる柚子の木から取れたてを7つ8つ拝借してお風呂に入れた。
今日は入浴中のため、写真は無しよ、うっふん(笑)

わたしはけっこう毎日にいっぱいになると、余裕がなくなって、実のところ気をつけてないと今日が冬なんだか、夏なんだか、春なんだか、すっかり風情をなくしてしまうところがあるので、こういう季節の風物詩はいいねぇ~。
お雛様にしろ、土用のうなぎにしろ、古くからのいわれの効果のほどはさておいて(笑)、そうか、季節が流れたんだなーと句読点を打って次にスイッチしやすくなる。ささやかでステキな行事に感謝!

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朝のひとたち

 昨日夜残業して深夜の帰途についたら、事故で電車がとまっていて、足止めをくらった。
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で、喫茶店で時間をだいぶ潰してから、ダイヤの乱れのせいでやけに空いている電車に乗った。いつもと違うペースでなんだかボーっとしていて、ふと前の座席を見ると、毎朝電車でいっしょになるカップルが座っていた。
あはは、どこの誰かも知らないひとだけど、朝も帰りもいっしょだ。しかも向こうは帰りも、まったく朝といっしょのカップルだ。きっと向こうも、「朝のひとだ・・・」って気がついてるんだろけど知らないふり(笑)

 以前にも、せつないことがあった日に人目もはばからず、深夜の電車でメソメソと泣きながら、おセンチワールドに入っていたら、別の「朝のひと」に見られた。でも、向こうもグデングデンに酔っ払っていて、朝の気難しい顔とは別人になっていたのでバツが悪そうだった。(笑)

 「朝のひとたち」との不思議な距離。名前も知らずに挨拶すらしたことないけど、数年毎朝いっしょのメンバー。あっ髪切った、とか衣替えしたなとか、あたらしいバック買ったんだとか、失恋したらしい、とかいろいろお互いに知ってたりする。

うちの父はギュウギュウの小田急線で、毎朝ある駅で必ず席交代をする、という暗黙の約束をいつの頃からか交わしていた「朝のひと」がいたらしい。ある日を境に突然その人の姿が消えてしまい、「リストラにあったのかも」「転勤か?」と見ず知らずの相手に勝手な想像をめぐらせて、けっこう心配していたことがある。(笑)親子だね~。

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ココログデビュー

ココログ登録してみました。

いわゆる個人サイト的なノリって、インターネットをはじめて、ものめずらしくって片っぱしからいろいろチャレンジしていたころ以来でなんだかテレくさいわ。(笑)

毎日のAtoZとならぬ、は行(注:「はぁ・・・」「ひぃっ!」「ふぅ。」「へぇ~」「ほぉぉぉ」)をつらつら綴るつもり。

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