エピソードでつかみはオッケー。キレイにまじ話でまとめるつもりが、あやうく鳩にジャマされた。
いや、原因はわたしの怠慢です。(^^ゞ
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「あっ、その日あたし早い時間からは無理、スピリチュアルカウンセリングの予約があるから。」
と、職場のみんなで宴会の相談をしているときに言ったら、
「え゛~えー!!あべこさんどうしちゃったの、とうとうスピリチュアルナントカだなんて、だいじょうぶぅ~!?」
とその場のみんなが興味津々半分、懐疑の目半分でちょっとひいてしまった。
「っていうか、違うんですよね!スピリチュアルがどうのとかっていうより、『カウンセリング』を受けたいんですよね。」
と、そうそう、まさにそれっ!って私の心境にしっくりくるフォローをしてくれた人がいた。サンキュー。
最近の私といったら、人生最大のピンチってほどでもないけど、信じて頑張ってたのにがっかりすることとか、いつかやってくるのはわかってたけど、どうにもならない現実にいくつも直面してこの先を憂いでみたりとか(例えば老化とか結婚とか子産み期限とか(笑)でもマジ深刻!)、ネガティブないろいろが急に重なって前途洋々気分とはほど遠い感じが続いていた。
ひとつひとつは、客観的に見れば、こんなことでいちいちクヨクヨしちゃったらおとなげなくて恥ずかしいようなことばかりで。
そもそも能天気なアホ気性「こんなのあるあるダイジテン!まあ何とかなるわよー」って概ねやり過ごしているつもりだったけど、それに比べて心うきうきするポジティブ要素には思いのほかご無沙汰で。
気がついたら、拮抗していた希望と不安のバランスが崩れつつあるのに気付いて、ちょっとヤバイなと自分自身のことを思いはじめていた。
半日か1日で直っていた風邪や倦怠感を、近頃は2~3日以上引きずってたびたび悩まされるようになった。
寝る前の布団の中で今日の思い出し笑いをしてニヤニヤしたままワン・ツー・スリーで眠っていたのが、あれこれ心配ごとに悶々とし涙を流しながら、でもやっぱりワン・ツー・スリーであっという間に眠りにつくことが多くなった。
酔っ払うとやけに陽気になって大きな声で挨拶したりして人に恥ずかしい思いをさせていたのが、度々泣き上戸になってみんなにおもしろがられるようになった。
もともと多かった独り言が、職場公害並みに増えた。
イカん、イカんのだ。
人事でキャンペーンやってるストレス相談にダイヤルするほどでもないし、神経内科に通って抗鬱剤を処方してもらうほどでない。
でも、そろそろヤバいって自分で思う、このままいったらヤバそうなのだ。
だからって、そういうことは早めの対処が肝心とばかりに、そういうところに頼ってしまう、という一線を越えてしまったら余計に自己暗示にかかって、必要以上にあたしは半ビョーキ、かわいそうなの、ってな深刻モードに入ってしまいそうだ。
そんじょそこらのポジティブシンキング自己啓発本のたぐいは20代の頃にもう読み飽きた。
友達に相談するには、相手も答えに困るだろうと思うようなどうにもならない愚痴になってしまいそうなネタばかりで申し訳ない。
いつもならあやかっていた若い友人達の「大丈夫ですよー」ってなヤングパワーも、今の状況では「あなたにはまだわからないわね・・・」と年増おんなの孤独を余計煽るばかりになりそうで逆効果だ。
縁あって、「おもしろかったよ!興味ある?」と親友から薦められたスピリチュアルカウンセリングは、そんな状況のわたしには願ったり適ったりで、これでしょっ、これっ、って感じで妙に腑に落ちた。待ってましたとばかりにすぐに予約をとった。
当たるも八卦当たらぬも八卦なロマンティックな要素ありつつ、『オーラの泉』大好き人間のわたしにとっては一度やってみたかったレクリエーションぐらいの気軽な気分で赴くことができた。そしてアカの他人になら、見栄をはったりせず正直になって、立場や性格違うから通じないかもと気兼ねすることもなく、ちっちゃな悩みのあれこれも吐き出せそうな期待があった。お金払うんだから、あんた、そんなこと何言ってんのなんて鼻で笑わせやしないわよ、っていう上目線でいける気楽さがあった。
でも先生にはやっぱり「結局、贅沢なのよ、贅沢な悩みなのっ!」と優しく叱責された(笑)
「わたしのところには、明日さえどうやって生きていったらいいんだろうっていうような深刻な問題を抱えたいろんな相談者がたくさん来るの。あなたはいろいろあるかもしれないけど、尊敬にあたいするほどしっかりした愛情にあふれる両親や家族がいて、面白くないことあっても十分生活していけるお給料が貰える仕事があって、健康でまだ若くて(言われてみれば、世間相対的に見れば若いほう。)、たくさん友達がいて。そしてすばらしい未来が用意されているのに(エピソード2と3のこと)、なんで悩むことがあるのーっ!?」と。
そのとおり。
今までおんなじことを実は自分で自分に言い聞かせてなんとかやってきた。
でも、いろいろ重なると「あたしってもしかして能天気バカかも・・・。」って、疑わしい心境になるときだってあるのだ。
究極、自分を信じる、自分「だけ」を信じるって、最強であるとともに、なんとこころ細いことか。
そんなときに、アカの他人に、しかも私が見えない何かが見えているかも知れないと思わせる背景のあるひとに、あらためてそういわれたら。
わかってるんだけどねっ!うーん、うーんって頑張ってひとりで力んでもなかなか向こう側にどうしても倒れないスイッチが、いとも簡単にバッチン、って向こう側に押された感じだった。
そうですよねー、そうなんですよー。アハハ、あたし甘ちゃんで恥ずかしいですよねーと、実際先生に言いながら(笑)すんなり納得して心に染みた。
幸いなことに、家に代々の怨念がとり憑いているので今すぐ家屋を焼いて山に入りこの壷を後生の宝しろと言われたわけでも、前世はりオのカーニバル・ダンサーだったので、今すぐ踊り子めざしてブラジルへ飛べっ!とも言われなかった。(笑)
そこがびっくりでもあるのだが、何が好きで何をしてかろうじてストレス解消をしているかとかの話もしなかったにもかかわらず(!)今ささやかながら楽しい時間-料理、の腕を磨けと言われた。
単なるストレス解消のひとつ、ひとにご馳走することができたり、生活を充実させる当たり前のこと、ぐらいに思って何気無くやっていたけど、視点を変えてみると毎日の晩ご飯の仕度をする気持ちだって全然違う楽しい時間になった。
真面目に平野レ・・・いや、栗原はるみになれるなんて思っちゃいないけど(笑)、楽しいんだから「得意っていっても所詮日常の生活じみた素人仕事ですから・・・」なんて卑屈になったりしないで、もっと欲を出して技を磨くべく真剣にやってみてもいいかもっていう気分になったら、だんぜん楽しくなってきた。
先生にそういわれたとおりになるなんてわかんない。けど守護霊様がそう言ってるなんて、ちょいと恐れ多そうなエッセンスが加わると、意外にもやけに信憑性がましてくる。そういうことだってあるかも、なんてすんなり受け入れたりできる。
そうして気がついた。
今がつまんないからって、この先もずっときっとこのまま歳とともに心配ごとがどんどん増えて、孤独に淡々とした人生を送るんだろうなだなんて、なんで心のどっかで勝手な未来予測をしていたんだろう。
あたるとかあたらないとかの問題じゃなくて、先のことなんて良くも悪くもわからない。いちばんつまらないのは、予測もつかない先のことにクヨクヨして暗い気持ちで今を楽しめないことだ。
急に、ずぅっと前に見るでもなくつけっぱなしのテレビから偶然流れてきて、ふと心にとまったドラマのセリフを思い出した。
「少し先のことを考えないのはバカだけど、でもどうなるかわからないうーんと先のことばかり考えて今ある何かを犠牲にするのはもっとバカげてると思わない?」
そうしてわたしは、みんなの心配をよそに、ちょっといいエステをフルコースで受けるぐらいの高いカウンセリング料のもとはとれたと思えるぐらい、スピリチュアルカウンセリングで生気を取り戻すことができた。
そんな話を、紹介してくれた友達にスピリチュアルチェック報告会?(単なるお食事会(笑))で話したら、彼女は、
「そうよ、結局、気持ち次第なのよ人って。」
と言った。
そのとおり。
でも、わかっちゃいるけど、究極「はまる」と自分にいくら言い聞かせてもこころの底ではどうにもひどい不安から抜け出せなくなってしまうことがある。
そんなとき、実は意外にも現実的な形ある何かよりも、目に見えないこういうもののほうが役にたったりすることがあるということを知った。
信じるものは救われる。
こういうことかとあらためて体感した。
無宗教国家と言われることもある日本の日常。宗教じみた話を真面目に匂わせたりするとハナから敬遠されてしまうのが常。
気まぐれでお札をかけてみたり、子どものころには日曜学校で聖書を読んだり、1年に1度くらいは初日出を拝んでみたいと思ったり、初詣に人ごみをかき分けて厄除け祈願することはあっても、イベントが済んだら所詮、信心深いところなんて皆無に近い私、信仰について真剣に考えたことなどなかったかもしれない。
時には争いの火種になって人をあやめたり、身上つぶしたり、それを餌にあくどいことに走ったりする輩がいたり、行き過ぎるととんでもない災いになりかねないけど。万国共通太古の昔から、様式や信じる神の種類が違っても信仰や宗教は不可欠なこととしてついてまわる。ヒトの精神上やっぱり必要で自然なことなのかもしれない。信仰をとおしてこころが救われて何とか明日生きていけるひとがたくさんいるのだ、きっと。
学生のとき、それコロッケの味わからないでしょ!ってぐらい、何でも真っ黒になるくらいソースをかけてご飯を食べるブルドック中毒の人がいた。
カレー嫌いって言ってた人、よくよく聞いたら実は別にカレー味が嫌なわけじゃないけど、カレーって一度食べるとその後ずっと全てが口のなかカレー味になっちゃうのが嫌で食べないということだった。
ある老舗の一流料亭の板長は、舌を狂わせるので胡椒は口にしないとテレビで言っていた。
人生のスパイスみたいなものだ。
素材本来の味がわからなくなっちゃったり、全てがその味付けで左右されてしまったり、大事なことが狂わされたりしてはダメだけど、ときにはやさしいナチュラルな味じゃ物足りなくて、強烈なスパイスの刺激がたまらないってときもある。
本来の旨味は、素材本来の味や、料理人が下ごしらえで時間かけた出汁の風味とか、微妙な塩加減がメイン。
でもでも、あたしもよくやる手だけど、何だか上手く味がさだまらないときはスパイスとかハーブとかちょいとピリリッと効かせてまとめてしまうこともある(笑)。
そういうことだ。
って、料理でまとめたところで、おあとがよろしいようで。^_^V
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